2007年12月25日
善?悪?一世風靡のレイトンハウス 190

国内レースに端を発したレイトンハウス。'80年代一時期は皆がこぞってレイトンハウス・グッズを身につけていた。街で着られるレーシング・ファッションは魅力的だった。
-が、あまりにもブームになり過ぎていたのでドルフィンは敬遠し、まだマイナーだったベネトン派になったのだった。
レイトンのA社長が逮捕される事件が起こったが、レース関係者の大半が「世話になった」と語っていたそうだ。
しかし、その金の作り方は正しいものだったのだろうか?
また、コンストラクターだったマーチを買収→バブル崩壊で解散に追い込んでしまった。これもまた金の使い方に疑問が残った。
モーター誌も“恩恵”を受けていたので深く追求できなかったのだ…。
金の問題を置いておけば、国内外のレースではレイトンハウスの活躍に心躍らされた。
F1では自然吸気エンジンながら大パワーのターボ車を喰ってしまう場面も見られた。小が大を投げるという日本人の感覚に合っていたのかもしれない。
レイトンハウス190は188のような大成功マシンとはいかなかったが、そこそこのパフォーマンスを見せてくれた。
萩原光の魂を乗せたゼッケン「16」が世界を駆け抜けていたのだ。
唯一持っているレイトンハウスのブルゾン(カペリ&グージェルミン)とONIXのモデルを合わせたかったが、行方不明。どこにしまったのだろう?

2007年12月24日
目の前で1-2フィニッシュ! ベネトンB190

元世界チャンピオンのネルソン・ピケットが加入し、ラルト/ホンダF2にも乗っていたロベルト・モレノとコンビを組んだ'90年のベネトンチーム。マシンには日本系企業のロゴが多く見られたバブリーな頃。
日本GPで1-2フィニッシュを飾ったのがベネトンB190だった。
前年のB189のデザインがとても好きなので、B190にチェンジして欲しくなかったくらいだ。
“魔女の鼻”を連装してしまう“折れ”のあるフロント部。コクピットサイドから、ドライバー後部に移動したインダクションポッド。あまりにスッキリし過ぎて寂しい気すらする。原色色分けもバランスに欠く。
それでも目の前で1-2フィニッシュを飾ってくれたマシンはカッコ良く見えてくるのだから人の気持ちは不思議だ。
あの時は最終コーナースタンドに座り、シケインを2台で立ち上がる様を観戦していた-。
この年もベネのアパレルと“タコマーク”が変更された。
ONIXのモデルと合わせたのは「UNITED-」にロゴチェンジしたショップ内装飾用ステッカー。

2007年12月21日
最後の変わりF1 タイレル019

近年、奇抜なF1マシンは少なくなり“変わりF1”好きのドルフィンはつまらなく感じている。
タイレル019は最後の変わりF1ではないだろうか。
せり上がったノーズコーンに、八の字に下がったウイング。「やっちゃった…」雑誌の写真を見た時に思わず叫んでしまった。カッコイイがやり過ぎたデザインだではないかと-。
しかし、6輪車と同様、素晴らしいパフォーマンスを発揮し、今でもフォーミュラマシンに生かされている。ハイノーズの礎を作ったマシンだ。
スポンサーロゴは少ないものの、ホワイト&ブルーのカラーリングは清々しくキレイなものだ。
ONIXのモデルと合わせたのは、日本GP時にもらったエプソンのステッカー

アレジのタイレル019
2006年12月03日
悲しき水中翼船 タイレル019

奇抜なF1マシンが好きだ。アイデアとテクノロジーを結集したレースカーの頂点らしさがあるからだ。F1のミニカーを集めるにあたり好きだったものはもちろん、変わったマシンもコレクションしたいと思っている。
昔からそう呼んでいるのでそう呼んでしまう―タイレル019も変わったマシンの1台に入るだろう。雑誌で写真を見た時「あ~あ、やちゃった~! これは失敗作だろう。中嶋、今年はダメだろうな」と思った。だってそうだろう。高く上げられたマシンノーズに取り付けられた“八の字”状になったウイング…。いくらディフューザーの効果を上げたいからといってそれはないだろう―と感じるのが普通だ。このハイノーズが後々ブームメントになるとは思いもよらず。
予想に反してダウンフォースが増えた(?)タイレル019は軽量・コンパクトな車体を生かして好成績を挙げた。ゲンキンなもので「失敗作」と思っていたマシンも奇抜さが逆にカッコ良く見えてくるもの。
マシンの特徴を文字って『悲しき水中翼船』というCDまで出した日本期待の中嶋悟選手より、若くてハンサムなジャン・アレジ選手の方が活躍し、彼をフェラーリ入りさせる原動力にもなった。
チーム内で影が薄くなり、翌年のホンダエンジン搭載車020も不発に終わった中嶋選手にとっては正に『悲しき水中翼船』である。
タイレル019が走っていた'90年当時、ONIXから出ていたモデルカーがオークションに出ていたのを発見。“オモチャ転がし”をする訳ではないので、箱ナシ、ケース傷アリで格安になっていたモノを落札した。その値段たるや、代金振込みの手数料の方が高かったくらいだ。
モデルカーにはアレジが乗っている。ヘルメットは一応程度にデザインされているが、胴体は青一色という手の抜きよう。これがONIX製品共通の悪い点だ。最大の特徴であるハイノーズは、今見ると「この程度の高さだったかな?」くらいに感じる。でもカッコイイイんだな。

アレジのタイレル019 アレジは未だに日本では人気があるなァ
2006年10月24日
カペリ、トップの真事実 レイトン901

マクラーレン/ホンダ圧勝のF1'88年シーズン。日本GPでセナとプロストが同チーム同士で優勝争いをしている最中、I・カペリが駆る自然吸気エンジン搭載のレイトンハウス・マーチ881が一瞬(記録では1周)だけトップに立ち観客を沸かせた。
TVや雑誌では語られていないが、あの首位奪取には隠れた理由がある。
レイトンのカペリがホームストレートでマクラーレンのプロストを抜く寸前の出来事。ラルースの鈴木亜久里がシケインでスピンした。そこにトップを走るプロストが進入してきた。ブレーキを強くし追突を回避。そのためストレートの伸びが鈍くなり、加速してきたカペリに一瞬抜かれてしまったのだ。この出来事はシケイン視界に入る僅かな(全体から見れば)観客だけが目撃できた。
スピンアクシデントをモノにできる位置にまで差を詰めていたカペリの好走あっての事なのだが。
ONIXから出ているレイトンハウス901は、大活躍した'88年モデルではないが、老舗レーシングカー・コンストラクターのマーチが作り上げた名車の1台。ドルフィンが引越しの際に、レース好きの友人が餞別にくれた品である。
再現されたレイトンブルーと呼ばれる独特のイメージカラーで覆われ、オイルメーカーのグリーンがアクセントに入る。ドライバーはエースのカペリ。ヘルメットは丁寧に塗装されているが、ドライバーの体がちゃちなのがONIXの弱点。'90年代初頭までのF1ブームを支えたモデルメーカーらしからぬ手抜きである。
ゼッケンは故・萩原光にちなんだレイトンハウスのナンバー「16」。彼の思い出話はまた別の機会に。

F1日本GPでのI・カペリとレイトンハウス901
2006年07月12日
1-2フィニッシュ! ベネトンB190

`90年F1日本GPで1-2フィニッシュを遂げたベネトンB190。優勝はネルソン・ピケット。70年代後半から80年代にかけてのF1が一番好きなドルフィンにとって彼は“ピケ”ではなく“ピケット”なのだ。
当時活躍したドライバーで日本でF1が再開催された時に残っていたのはピケットとパトレーゼくらいだろうか。セナやマンセルよりも憧れ度が強いドライバー達だった。
ベネトンB190は一番有名な緑、赤、青、黄を配色したベネトンカラー最後のマシンでもある。翌年からは一番好きではない黄色中心のタバコ屋カラーになってしまった。
また、不慮なアクシデントに遭遇したナニーニに代わってモレノがゼッケン19を付け、自己最高の2位に入った。前年のナニーニ優勝に続いての快挙に、観戦していて興奮した事を思い出す。
ONIXからリリースされたピケットのベネトンB190。これは頂き物。ある会社を退職するときにベネトン好きのドルフィンのために先輩が飾っていたものを下さったもの。
―ところで最近、ONIXって聞かないけど? ミニカーに関してはビギナ~なので業界については分からないのだが…。
ベネトンのロゴが「UNITED-」に、“タコマーク”がファイヤーカラーに変更されたマシンである。今は破産したオーポリもスポンサーに付いていた。
ヘルメットこそピケットのものだが、ドライバーのボディはちゃちな緑一色というところが廉価的。台座が斜めになっているのが他のモデルカーと異質なところ。
やっぱりベネトンはこのカラーリングが一番いいね。

F1日本GPでのピケ。カッコイイなぁ。
