2008年03月13日
elf(エルフ)の神話

eif(エルフ)オイルと言えば『サーキットの狼』F3編で「elfにサポートされるのは栄誉」というような件(くだり)があったと記憶する。その時からelfは自身の中で神格化したのかもしれない。
加えてF1・elfタイレルや2輪・elf-eといったオンリーワンの機構を備えたマシンの登場で“格好良さ”を感じるようになった。
バイクや車に乗るようになったが、elfOILは高くてなかなか使えないのが現状。ポリシーに反するのだが“使っていなくても”ステッカーを貼ってしまったりする。
写真は6輪elfタイレル'76年型とGP500のelf3。ボディに唯一大きく描かれたロゴが誇らしげ。
白いステッカーは'77年頃にもらったような気がする。
現在の丸みを帯びた青&赤のマークはイマイチだな。

elfのキーホルダー モデルと合わせた黒ベースのステッカーとともにイベントで頂いたような?
2008年02月28日
ミスター・ナスカー アーンハート

10年くらい前に「鈴鹿でNASCAR開催!」と報道された。鈴鹿やもてぎでアメリカンレースを盛んに誘致していた時期だ。
ストッカーレースはたまに放送されていたTVで見たり、村上もとか氏の漫画『ドロファイター』でも描かれ、興味を持っていた。
高速オーバルコースをダンゴ状でバトルを展開するレースは、TV観戦ながら非常にシビレた。
鈴鹿やもてぎへは行けなかった。
開催前年に鈴鹿で購入したのがミスター・NASCAR、デイル・アーンハートのピンだ。
複数回のチャンピオンを獲得したアメリカン・ヒーロー。
そんな名ドライバーも事故で他界してしまった…。彼の走りを一度も見る事無く。
映画『カーズ』のオリジナル板では、やはりNASCARドライバーである息子のアーンハートJr.が声を当てているらしい。
2008年02月15日
ドリキンは引退してもHERO

ドリキン土屋圭市サンは現役を引退してもHEROだ―。
峠時代やマイナーツーリングで「賞金泥棒」と呼ばれるほど勝ちまくっていた頃は知らない。テレビ番組『モーターランド』のリポーターになった時に「面白く解説できるドライバーがいる!」と、彼の存在を知った。
JSSやF3で走り「マッチの周りには女の子ばかりだけど、俺の周りには男しか集まらない」との名言(?)を世に放った。
しかし、Gr.Aの頃には女性ファンも増えてなかなか近くに寄れなくなってしまった。
全日本GT選手権・全チーム全ドライバーのヘルメット型ピンが発売された。
人気チームはすぐに完売状態。何戦目かでようやく大好きなチーム国光の2人、国サンとドリキンのピンを手に入れることが出来て嬉しかった。
レースでは現役を退きアドバイザーになったが、TVやDVDでは素晴らしい走りを見せてくれている。
まだまだトップドライバーとして走れたのではないだろうか?―そんな気すらするのだった。
昔はテストはもちろん、TV神奈川の『圭市倶楽部』の公開収録とかも見に行ったなぁ。

チーム国光で走った鈴鹿1000㌔ レイブリックNSX
写真に入れてもらったサインは昔のアルファベット版
2008年02月05日
アレジのタバコ屋ピンズ

フェラーリからアレジ&ベルガーコンビがそっくりベネトンに移籍した'96年。どちらがNo1なのかあまりハッキリしていなかった様子。
しかし、メインスポンサーのタバコ屋は“日本ウケが良い”アレジをキャラクターにしてピンバッヂを作った。マイルド○ブン フォーミュラ1チームのピンズだ。
'97年くらいのF1日本GPで成人者を対象に、携帯灰皿と共に配られたものだ。
このタバコ屋がメインスポンサーになって世界戦略に出た当時は気前が良く、毎年の日本GPでは傘やキャップ、バッヂ等を配っていたので毎年楽しみだった。
2~3多めにもらって友人への土産にしたものだ(←おいおい!)。
聞くところによると最近では全く無いそうで、寂しくなったものだ。

アレジのベネトンB197
2007年11月04日
さらばラルフ ヘルメット・ピン

トヨタF1に初勝利をもたらしてくれるものと思っていたのに…。無限やトヨタという日本系チームに所属しながら“優勝”を記録する事無くチームを去るラルフ・シューマッハ。
「契約金が高い」だの「走りに波がある」とか「高飛車」だとか言われている。そんな彼だが嫌いではない。
初代フォーニュラ・ニッポン・チャンピオンであるが故かもしれない。

ジョーダン/無限のラルフ ピンはこの当時のデザイン

'06年日本GP トヨタでのラルフ
フォーミュラニッポン初の合同テストが行われた日、ラルフはワッペンがほとんど何も付いていないレーシングスーツを着て富士のピットにいた。
見知らぬ国にただ独りやってきた、まだあどけなさが残る青年の不安気な表情が忘れられない。
それがフォーミュラ・ニッポンとJGTCで勝利を重ねるうちに、兄に劣らぬふてぶてしい表情になっていったのだから血は争えない。
ワールド・チャンピオンになるにはもう峠を過ぎてしまった感が否めないが、これからも活躍を期待している。

日本の某レース雑誌“R”を読んでいたラルフ

ラルフのサイン 絶対F1に行くだろうから今のうちにもらっておこうと狙っていた
2007年07月20日
伝統を作ったシューマッハ ピン

高々と腕を上げてファンに感謝を示すシュー・マイケル。サーキット・コースとピットを隔てるコンクリートウォールに乗ってのガッツポーズだ。
'95年F1日本GP、鈴鹿で優勝したシュー・マイケルは、記者会見ををはじめ定例の“挨拶回り”が済んだ後、ファンの前に再び姿を現した。表彰式終了から2時間後の事だった。首元までとめキッチリとレーシングスーツを着ている。
グランドスタンド前のサーキットビジョンでレースのリプレイを観て余韻に浸っていたファンは、突然のチャンプ登場に感極まった。ファンに挨拶に来てくれた行動が嬉しかった。
それ以前の優勝者がどうだったかは定かではないが、ドルフィンの体験からするとシュー・マイケルが最初だったと思う。
以後、ハッキネンやヒルも優勝後に出てきてくれた。ヒルは引退レース後もジョーダンのピット前のウォールに無限の本田社長とともに“ファンへの挨拶”に出てきた。
(現在ではどうなのか知らないが―)シュー・マイケルは鈴鹿優勝者の伝統を作ったのだ。
前年の'94年初タイトル獲得記念のピン。マシン・ベネトンB194はディティールが細かく表現されている。珍しい写真入りのピンだ。

2007年07月09日
日本育ちのチャンピオン ジャック

そのビッグネームから、いずれF1に上り詰めると分かっていたジャック・ビルヌーヴが全日本F3に参戦してきた。
若い頃の彼にはジュリアン・レノンに似たイメージを持っていた。
果たしてF1に上がり、ウイリアムズで世界王者になった彼。後々思えばF3ボーイの頃にサインをもらっておけばよかった。しかし、会えなかったのだ。
ジャックが全日本F3で走っている頃は練習日に観に行く事は無かったので、レース日に遭遇するチャンスには恵まれなかった。
ただ、246号線沿いの本屋で立ち読みをしている姿を目撃したことはあるのだが…。本屋で「サインして下さい」とは言えないし。

全日本F3でのジャック
日本に馴染みのあるドライバー、ジャック。彼のヘルメット型ピンも購入しない理由は無い。
父・ジルに似たデザインながら、ラインは曲線。赤ラインがピンクになっているのが特徴。ピンはピンクのラインが赤になっている。
スポンサーロゴまで細かく描かれていて綺麗だ。

ウイリアムズで輝いていた頃の走りをもう一度見たい
2007年07月04日
皇帝伝説の第一歩 B194ピン

流れるような曲線を多用し、青系中心となった新たなベネトン。赤味が足りないものの、黄と緑の単調なカラーよりは綺麗になったと感じた。
この時のマシン・ベネトンB194を記念に購入したピンは、精密な色塗りがなされていない。青一色で塗られ、一箇所だけ黄が入っているものだから“色が剥がれた”ように見える。
事実、ピンを購入する時、同一デザインの他のものを幾つか見比べてみた。全部が同じ塗り方だったので“剥がれ”ではないと確信して購入に踏み切ったのだった。
シュー・マイケルの皇帝伝説の第一歩となる初タイトルを奪取するマシンとなった。

2007年06月29日
ロングセラー・国サンのヘルメット

アライの高橋国光レプリカヘルメットはロングセラーだ(今でも売られているのだろうか?)。ナショナルカラーを使った白地に赤のラインというシンプルだが飽きの来ないデザインだ。
全日本GT選手権のスタート2~3年目だっただろうか、全出場ドライバーのヘルメット型ピンズをサーキットのみで販売した。人気ドライバーは直ぐに売り切れ。ドルフィンはチーム国光ファンなので、高橋選手と土屋選手のピンズを入手。インパルの2人と並ぶ人気で、辛うじて購入できた次第。
販売が偏るかもしれないが、ヘルメット・ピンズは続けて欲しかったと思う。

国サンがドライブするNSXの写真にサインを入れて頂きました
2007年06月27日
黄金期に向かうベネトン

’91年末、マイケル・シューマッハを迎え入れたベネトンは、翌年からカラーを一新。黄と緑が主体のマシンになってしまった。「―しまった」と書くほど、ドルフィンはこの頃のカラーリングが好きではない。単調でベネトンらしい美しさが感じられないからだ。
それでもシューマッハ加入記念にピンズを購入した。マシン、ヘルメット、出身国旗、メインスポンサーロゴにベネトンフォーミュラ1のマークが入った“欲張り”なデザインになっている。恐らく版権無視して作っているからここまでできるのだろう。
これからベネトンの黄金期に向かう時のパッケージだ。

2007年06月18日
赤い流れ星 ジル・ビルヌーヴ

F1チャンプを目前にして赤い流れ星になってしまったジル・ビルヌーヴ。若くしてフェラーリのエースとなり、未来を嘱望された男は伝説になっている。
N・ラウダの代わりに'77年F1日本GPを出走した時には「こんな新人よりラウダを見たかった」―という思いが強かった。
ところが、彼が年を追う毎に勝ちを重ねるにつれ「ビルヌーヴを見られて良かった!」に人の(ドルフィンの)気持ちを変えてしまうところが凄い。
鈴鹿F1開催時に、販売ブースでビルヌーヴのヘルメットピンズを見つけ、購入。思い出深いドライバーの1人だから。
黒地に直線でデザインされた赤ライン。シンプルだが強烈な印象を与える。
連続王座を獲得したシューマッハや一時代を築いたラウダとは違った輝きを放ったドライバーだった。

'77年F1日本GPでのビルヌーヴ
2007年06月10日
最強F1ドライバー ニキ・ラウダ

セナやシューマッハがいかにF1で優勝記録や多年チャンプになろうと、最強ドライバーとしてのイメージがあるのはニキ・ラウダだ。
きっと自分が一番夢中になっていた時代のドライバーだからそう感じるのだろう。それ以前の時代が「最高」と思っている方は、その時代のドライバーが現在に至るまでの最強ドライバーだと思っているかもしれない。
ニキ・ラウダのヘルメットピンズはF1開催時の鈴鹿サーキットの販売ブースで購入した。売り出されていたピンは一度引退した後、マクラーレンで復帰した時の赤に白の「L」ラインがデザインされたものだ。
ブラバム時代から個人スポンサーにもなっているパルマラート(サッカー中田英寿選手が在籍したパルマのメインスポンサー)のロゴも入っている。
ドルフィンとしてはフェラーリ時代の真紅のagvヘルメットバージョンが欲しかった。
ヘルメット上部にインダクションが付いていてカッコ良かったなァ。
2007年05月29日
ともさか見たさの メニコンサード・ピンズ

ル・マン24時間に挑戦するメニコン・サード・レーシングチームが、当時人気絶頂期の女優・ともさかりえをイメージキャラクターに迎え、発表会を行った。
マシンやドライバーの発表もさることながら、ともさか見たささにわざわざ渋谷にまで出かけてしまった。
記者向けと一般向けの発表会があり、その入場者に資料とともにピンズが配られた。いわゆる非売品である。
マシンがデザインされたプレートの上にクリア材が乗せられている状態のもの。

やはり(自分としての)メインはともさかりえの登場。チーム監督に花束を渡して一言二言喋って退場。「え? もう終わり!?」とあっけにとられてしまった。再登場も無く寂しい思いをした。

人気絶頂期のともさか。もちろん可愛いのだが、意外に背が高かった
2007年05月24日
我No1 F1ドライバー J・ハント

私・ドルフィンが一番好きなF1ドライバー、ジェームズ・ハント。初めて見たF1でワールドチャンピオンに輝いたため印象が強く、以後も応援し続けた。
ハンサムなルックスとは裏腹に荒っぽい走り。“紳士”F1ドライバーらしからぬ奇行―ギャップに人間性を感じた。
'77F1日本GPのゴール際、パドックに侵入したガキの頃のドルフィン。表彰式を真下で見、記者やファンが詰め掛けるテント(モーターホームなんかじゃない!)で堂々と着替えるハント。黄色いブリーフをはいていた姿が目に焼きついている。
F1開催時の鈴鹿で購入したハントのヘルメット型ピンズ。今のドライバーでは考えられないくらいシンプルなデザイン。赤、青、黄の三本ラインは、GPによってはグッドイヤーのアキレスマークが列をなしている時もあった。これはカッコ良かった。
早々にF1を引退し、老いる姿を見せる事無く天に召された。もう二度と会えないのが残念だ。

コンパクトカメラで初めて“流し撮り”したハントのマクラーレンM26
ミニチャンプスから早くリリースして欲しい!
2007年05月13日
初めての衝撃 ファイアストン500

新しいカテゴリー、しかもトップレースを見ると衝撃を感じる。'98年にツインリンクもてぎのオーバルコースで開催されたCARTレースもそうだった。高速走行、3台並んでのコーナーリング、ドラフティングを使った駆け引き…。音は意外と静かだった。
しかし、残念ながら憧れのマリオ・アンドレッティやエマーソン・フィッティパルディといった元F1チャンピオンはCARTからも引退してしまっていた。
2年目は「ファイアストン・ファイアホーク500」と銘打って開催。予選終了時にゲートで大会記念ピンズを配っていた。同じモノを売店では販売しているのに!
無料で頂いたモノは友人への土産として、自分のものをもう1つ売店で購入したのだった。大会名と開催日が入っているので記念になる。

ミスターCART(当時)マイケル・アンドレッティ
2007年04月25日
ピンズ② ピケット&モレノのベネトン

ベネトンのピンズを付けていてゲンが良かったので、毎年マシンをあしらったピンズを探し入手するようになった。
ベネピン2つめは、'90年の鈴鹿で1-2フィニッシュを遂げた2人のドライバーN・ピケットとR・モレノのヘルメットとB191がデザインされたもの。ベネトンフォーミュラやタバコのロゴまで入っている(無許可使用?)。
小さいながらもヘルメットやマシンの描写が細かい。
鈴鹿最終コーナーを立ち上がるピケットのB191
イエロー基調のベネトンマシンのカラーはあまり好きではないのだが…。

F2ラルト/ホンダで鈴鹿に来た時にもらったR・モレノのサイン
何故か色紙の隅に書いていた
2007年04月13日
ピンズ① ゲンの良いベネトン・ピン

ベネトンF1の綺麗なカラーリングが好きで“チーム”のファンになった。
'89年日本GPの予選日、鈴鹿サーキット遊園地の路上に多くのピンズを刺したボードを広げている外国人がいた。物珍しさに覗いてみるとベネトンF1をデザインしたピンがあったので購入してみた。
B187かB188のマシンを上から見たイラストがかなり細かく描かれていて気に入った。
この年の決勝でA・ナニーニ選手が自身初優勝、チームとしては2勝目を挙げた。ゲンの良いピンだったので、ベネトン・ブルゾン(9/23 行くべきか行かざるべきか… ベネトンジャケット)の胸にピンを付け、毎年、日本GP観戦に出かけるようになった。バッグのベルトが当たると胸が痛いのだが…。
翌’90年もベネトンのN・ピケットが優勝。ピンズの効果は絶大であった(←んな訳無い!)。
ピンズのブームが年々大きくなり、日本の模型店もピンズ販売ブースを出すようになったが、このピンは翌年以降は発見できなかった。もう1つ欲しいほどお気に入りなのだ。

ナニーニ駆るベネトンB188 色といい、流れるようなボディ・ラインといい、美しいなァ
