2008年06月13日
初めての時は緊張

アントキのビギナ~:21 オークション
初めての時は誰だって緊張するものだろう。最初からスルッとうまくいくなど稀ではないだろうか。
ネットオークションを初めて利用、初めて落札したのがミニチャンプスのベネトンB186だ。
ベネトンを好きになったキッカケのマシン。オークションでしか入手できないと判断し利用を決意した。
入札した時は手頃価格なのにラスト10分で逆転されて失敗。
あるいはあまりに価格が高騰してくると、自分の中に引いた価格のラインを越えてよいものかと悩み、理性を失ってくる。-魔物だ。
何度かトライした。ラスト10分になると“追って”が来ないかと緊張する。
そして落札。うれしい! しかし、我にかえるとラインを超えてしまっていた…。-魔物だ。
2008年05月15日
アントキ買っていれば!

アントキのビギナ~⑤ ミニチャンプス
以前、F1観戦に行った晩はサーキット前にあるF1ショップ『G』とかの店舗巡りをした。
『G』は昔からモデルカーを置いてあり「うわー!ラウダノフェラーリがある!!」「アンドレッティのロータス、細かくてスゲ~ッ!」と、友人とともに騒いでいた記憶がある。恐らくミニチャンプスのモデルカーだったのだろう。
今にして思えば“あの時買っていれば”-である。しかし、当時はミニカーに4~5千円も出す気にはなれなかった。まあ今でも高価な買物ではあるのだが…。
時は流れ、モデルカーに興味を持つようになった頃、地元のモデルカー屋でミニチャンプス製・ウルフWR1日本GP仕様を発見した。
シーズン3勝を示す“撃墜マーク”3つとスポット・スポンサーであるタミヤのマークが入っている。
単に観戦した'77年日本GPのマシンというだけでなく、“ウイングを止めるネジをもらった思い出のマシン”なのである。
他に欲しいマシンもあったのだが(※)真っ先にウルフを購入したのだった。

ウルフWR1のウイング翼端板を止めるネジ
(※) ミニチャンプス製かエブロ製か不明ですが、星野一義選手のF2マシン・PENTAX NOVA532を探しています!
迷ったあの日以来、目にしていません。2台買える財力が無かったばかりに―と悔しい思いです。
2008年03月25日
雨中の逆転チャンプ マクラーレンM23

J・ハントは一番好きなレーシングドライバーだ。初めて見た'76年F1inJAPANで逆転ワールドチャンピオンに輝き、子供の心に存在が強く刻み込まれた。
最強だったN・ラウダ+フェラーリ312T2に対し、不在期も着実に勝利して最後まで諦めなかった姿勢が好きだ。
荒く泥臭いレース展開に反してルックスがモデル並にカッコイイところが好きだ(ナニーニもそうだがルックスが良いドライバー好みなのかも)。
“紳士”と呼ばれえいた世界最高ドライバー集団にあって“奇行”を繰り返す奥ゆかしさが好きだ。
翌'77年F1日本GPで優勝しながらも表彰式をボイコットしたハント。インタビューを受けている時、ガキのドルフィンもその場にいた。
今のようにモーターホームが無かった時代、テントの下、集まった人々の目を気にすることも無く着替え始めるハント。黄色のブリーフを穿いていたのが目に焼きついている。
この時のやりとりを録音したカセットテープは今でも持っている(あまりに古いため再生できるか不明)。
ウルフ移籍→F1引退→スカッシュ界へ転身→F1解説者、そして突然の逝去。めまぐるしい半生だった。
再び彼の姿を目にする事なく逝ってしまった。

通販でミニチャンプスのマクラーレンM23を購入した。
昔のF1マシンはデザインが単調のためか“付加価値”としてコクピットのカウルが外れるように出来ている。その反面、ドライバーの体が貧相な作りになっているのが残念だ。
ヘルメットは細かい塗装だ。当時はヘルメットの周りに防炎用の“布”を付けていたのが再現されている。
ロールバーのアルミ溶接っぽさやDFVエンジンは細かく表現されているところは流石。
ハント最後の優勝マシン、マクラーレンM26も早くリリースして欲しい。

'77年ハントのマクラーレンM26
ヘルメット周りの“布”がはためいて、遠目からは“手を振っている”ように見えた
2008年03月19日
大好き!チームロズベルグのオペル

GT選手権が開幕したが、やはり'96ITC鈴鹿は強烈なインパクトがあった。
欧州3メーカーのハイテクマシンが超接近戦を繰り広げたからだ。レースはコース上でのバトルが一番興奮する。
「また観戦したい!」と思わせるが面白いレース展開だったが、この鈴鹿を最後に消滅してしまったカテゴリーだった。
ドライバー、A・ナニーニ/マシン、アルファ155が一番好きだったが、その次に好きなのがJ.J.レート/オペル・ベクトラだった。
元F1チャンピオン、ケケ・ロズベルグ率いるチームロズベルグであることも大きな要因。もう1人のドライバーも元F1ドライバーのH・スタック。スター性のある魅力的なチームだ。
DTM/ITC仕様のオペル・ベクトラのモデルにはカラーリングに多種あるが、やはり日本で走ったカラーが欲しかった。
モデルカーを見ているとあの日の興奮が蘇ってくる。今年、WTCCが日本開催されるそうだが、DTMが来てくれないだろうか。
ミニチャンプスのモデルと合わせたのは、ITCでチーロズのスタッフからシャツを買った際にもらったチームステッカー。

2007年12月31日
日々進化する ホンダRA107

'07年の締めは手持ちF1マシン最新型のホンダRA107。
「日々進化しているF1」と言われるが、同スケールで持っているモデルの中で次に“新しい”フェラコレのフェラーリF2001と比較すると形状の複雑さ、付加パーツの多さが目立つ。
ショーモデルでこの複雑さなのだから、シーズンが始まって改良されてゆくレース車はもっと凄い事になっているのだろう。
RA107は形状だけでなく、カラーリングも地球をモチーフにした複雑なものになっているのだから、市販モデル化は難しかったのではないかと思う。
随所に現代F1マシンには欠かせないカーボンっぽさが随所に表現されている。
見ていて飽きの来ない美しいデザイン。レース車のモデル化には、まさかボディ一面に記載されたネームの列まで表現されるのでは?
ミニチャンプスのモデルと合わせたのは、第2期F1参戦時代(ウイリアムズ/ホンダ)のホンダF1ステッカー。


12月は手持ちF1マシンだけで毎日書こうと思っていましたが、忙しくてかけなかった日もあり、少々心残りです。
稚拙なブログを読みに来てくださってありがとうございます。
皆様良いお年をお迎えください。
2007年12月27日
アレジは日本で人気があるなぁ ベネトンB196

グランプリで1勝しか挙げていないのに、日本で人気があるF1ドライバー、ジャン・アレジ。ドルフィンも好きである。
優勝どころか、入賞すらできないドライバーが多い中で、GPで勝利を挙げる事自体素晴らしいのだが、彼の場合は「世界チャンピオン」を嘱望されていただけに、落胆する部分もある。
しかし、何度も優勝した、あるいはチャンピオンになった訳でもないのに人気があるのは、人間的に魅力があるからかもしれない。
デビュー2年目(だったかな?)のタイレル時代に中嶋悟選手のチームメイトとして注目。
性能がはるかに劣るマシンでマクラーレン/ホンダのセナとバトルを繰り広げたアメリカGP(だったかな?)が印象的。これで人気が爆発した。
嫁はんが日本の国民的アイドルなくらい日本人ウケするマスクでもあった。
シューマイケルとチェンジする形でベネトンに移籍した時のマシンがベネトンB196。
持っているモデルはB195に’96年カラーを施したショーカー。
綺麗で爽やかなカラーリングであり、何よりアレジのマシンということもあって入手した。マシン後部の4本のレインボーカラーが左右に分かれているのが特徴。
ミニチャンプスのモデルと合わせたのは、日本GP時にサンプリングでもらったベネトンステッカー。

2007年12月26日
変身サイボーグの覇王伝説 ベネトンB195

“サイボーグ”と呼ばれた青年が“皇帝”に変身する序章が'94~95年だ。
マイケル・シューマッハ(※)が連覇を成したベネトンB195。
ラクダマークの黄色中心のマシンカラーは冴えなかったが、ホワイト&ブルー基調にレインボウカラーが加わったこのマシンは綺麗だった。王者には美しいマシンがよく似合う。
と、同時にマシンもエンジンも全てのバランスが整ったようで、シューマイケルとJ・ハーバートのコンビは勝ちまくった。このコンビ、シューマイケルが全日本F3000を走ったサントリー・ラルトのコンビでもあるのだ。
(※)全日本F3000参戦時、本人が「ミハエルは呼びにくいからマイケルでいいよ」と言っていた。
王者の貫禄を身につけた青年は、F1ドライバーが誰もが目指すチームへと移籍していったのだった。
ミニチャンプスのモデルと合わせたのは、日本GP時に購入したB194がデザインされたステッカー。これで連覇マシンが並んだ-というワケです。


2007年12月19日
有言実行のミスター・ベネトン ベネトンB188

有言実行の新人としてF1デビューしたJ・ハーバート。華々しいカラーのベネトンドライバーとして相応しい男だった。
この'88年はクラッシュで重傷を負ったため、わずか数戦しか走っていないが、何故か“ミスター・ベネトン”のイメージが彼にはある。
ジョニーが戦ったベネトンB188は、A・ナニーニ車よりかなり遅れてリリースされた。
スポンサーロゴとドライバーが異なるだけで同じ車体なので購入する必要は無かったのだが、やはりB188はジョニーのイメージが強いので、既に持っているナニーニ車と2台並べてみたくなった。
ミニチャンプスのモデルと合わせたのは、ベネトンフォーミュラー1のミニステッカー。

モデルでは赤だが、ジョニーのフロントウイング翼端板

津川哲夫氏サイン入りベネトンヌイグルミ。100センチくらいの大きさ
2007年12月18日
イケメンF1ドライバー ベネトンB188

優勝していないものの、ベネトンチームで一番メジャーなマシンがベネトンB188だろう。移籍したベネを上位チームに押し上げたのはイケメンF1ドライバー、A・ナニーニ。
幅広いフロントウイング。フロントサス辺りで絞られたノーズ。コクピットサイドにあるエンジン・エアインテーク。そして原色色分けで鮮やかなマシンカラー。特徴豊富なマシンだ。
エアインテークは後のF3000マシン、ローラT90-91にも影響を与えたほど。このローラも格好良くて好きだ。是非ともモデル化して欲しい。
ナニーニ・ファンとして、ミニカーをコレクションし始めた初期に入手したモデル。ナニーニ車に関しては、スポンサーロゴは何パターンか存在しているようだ。
ドルフィン手持ちはラクダのマークが入っている仕様。
ミニチャンプスのモデルと合わせたのは、ベネトンフォーミュラーのマークが左右対称が1セットになっているステッカー。
何枚か購入してスキー板の左右区別にも貼っていた。

2007年12月17日
堂々と勝負したチャンプ マクラーレンMP4/4

F1GP全16戦中15勝と、マクラーレンMP4/4・ホンダの圧勝だった'88年。この年は“まだ”真っ向勝負でタイトルを決めていたセナとプロスト。
レース序盤リードしたA・プロストを、後半に追い上げたA・セナがストレートで抜いた。上空から撮影した映像はサーキットビジョンでも流され、観客を興奮させた。
堂々の勝利で初のワールドチャンピオンに輝いたセナ。実に爽やかで心をアツくさせたレースだった。
セナ好きでもないが、ホンダ初の地元優勝でもあり、見事なレースを展開したMP4/4は、モデルカーを手元に置いておきたくなるほど素晴らしいマシンだった。
ミニチャンプスのセナ。コレクションモデルは、日本GP仕様なので尚更である。
モデルと合わせたのは、当時ホンダが作った優勝記念とチャンプ獲得記念のステッカー。
'87~’89年頃にかけてホンダはレース毎の優勝記念やチャンピオン獲得のステッカーを頻繁に作っていた。


2007年12月16日
帰ってきたF1サーカス ベネトンB187

車体を路面に擦って飛び散る火花。
ターボパワーでリアウイングからたなびかせる“飛行機雲”。
10年ぶりに日本に帰ってきたF1サーカス(死語?)の迫力は凄まじいものだった。待ちに待ったF1日本GPは全てが新鮮で感動的だった。
色とりどりのF1マシンにあって群を抜いて鮮やかなマシンがあった。ベネトンB187。「ベネトンカラー」として人気のある“原色色分け”ボディの初代にあたる。
一目見て虜(とりこ)になってしまった。
基本デザインは後に受け継がれるものの、ターボカーであるが故コクピットが異様に前にきている。
1色につき(ほぼ)1スポンサーロゴの色分けも斬新。まだ当時はベネトングループのロゴが大半なのだが。
本年になって待望のB187がリリース。残るは優勝マシン・B189の登場を待つばかり。
ミニチャンプスのモデルと合わせたのは’87年日本GPで購入したステッカー。まだウサギがイメージキャラクターになっている。

2007年12月15日
メキシコの情熱 ベネトンB186

ベネトンB186はG・ベルガーのドライブによって'86年のメキシコGPでドライバー&チーム共に初優勝を遂げた時のマシンだ。
アツイ情熱の国で情熱を表すようなカラフルなマシンが駆け抜けた。
B186のカラーリングの美しさに惹かれて「ベネトン」というチームやアパレルに興味を持った。
それまでタイレルやトールマンのマシンに描かれた単なるロゴの一つに過ぎなかった。自チームになり、マシンペイントのデザインが格段に良くなった気がする。
ハケで塗ったような色とりどりのF1ボディの登場はは衝撃的だった。
後にタイヤまで色を付けてしまったが、ベースが黒ゴムなので鮮やかさに欠けたドス黒い色は“やり過ぎ”だったと思う。
'90年頃の香港で「ボッシーニ」というベネトンロゴにソックリなアパレル・ブランドをよく見かけた。ベネトンより“さらに安い”価格設定だったあ。今でも存在するのだろうか?
ミニチャンプスのモデルと合わせたのは、アパレル・ベネトンのショップ装飾のためのステッカー。
2007年12月14日
たった1勝チャンプ・ケケ ウイリアムズ6輪

ウイングカー時代に6輪車が出現。ウイングカーとして十分成功していたFWシリーズで、前輪を縦に並べた“マーチ型”6輪F1マシン、ウイリアムズFW08B6輪を発表したウイリアムズ・チーム。
“変わりF1”好きのドルフィンとしては「レースに出て欲しい!」と切に願っていた。
しかし、実践投入されずに終わった。サウジアラビア航空からの豊富な資金を受けていたウイリアムズの“お遊び”だったのだろうか?
マーチのそれに比べたらはるかにまとまっていてカッコイイ。
ドライバー、ケケ・ロズベルグはシーズンたったの1勝でF1チャンピオンになった男。
当時は「1勝しかしていないのに、チャンプなんてアリ?」と“棚ボタ”的チャンプに不満を感じたものだった。
しかし時間が経つにつれ、激戦のシーズンでそれだけ上位を安定して走っていたのだから凄いのだろうと思うようになった。
今年のフォーミュラ・ニッポンでは未勝チャンピオンが生まれたのだから“安定性”は大切な要因なのだろう。
ケケはどんなヘッポコマシンもそこそこ乗りこなしてしまう“ある種の才能”を持ったドライバーだった。
2007年12月10日
異形F1の代表 アロウズA2

奇妙なF1マシンが続出したウイングカー全盛期。見る者を楽しませて(?)くれた。
アロウズA2は“変わりF1”好きのドルフィンにとって“ストライクなマシン”の1台だ。
グラウンドエフェクトを追求したかのように、アロウズとしては特許を申請するほどの自信作。当時は写真でしか見た事が無かったので 「ロータス79を凌ぐようなどんな凄いアイデアやシステムなんだろう?」とワクワクしたものだ。
フロントタイヤまで延長されたボディの“裏側”は、どうなっているのだろう? ウイングが無くロケットか0系新幹線のようなノーズ部分―その速さに期待に胸を膨らませていたのだが。不発に終わった…。
後年、御殿場レーシングパレスで初めて実車を見た時は嬉しかった。できればもっと近くで見て“謎”のボディ底面も覗き込んで見たかったが、それは叶わなかった。
アルミっぽさに時代を感じたが、あの当時のトキメキが戻ってきた。
ミニチャンプスのモデルと合わせるのに、ワルシュタイナー・ビール関係のグッズが一切無かったので、タイヤであるグッドイヤーのステッカーを合わせてみました。

2007年12月07日
炎の宝物 ウルフWR1

'77年のF1GP、新チームで開幕戦に優勝したウオルター・ウルフ・レーシング。後年にワールドチャンピオンになるジョディ・シェクターの力量があったとしても奇跡とも言える出来事だ。
現在ではとても起こり得ないパフォーマンスである。
カラーリングと相まってNACAダクトのような美しいデザインのマシン・ウルフWR1。日本GP仕様はエンジンカウルにタミヤのマークが入っている。
日本GPレース終了後、マシンを解体していたメカニックからもらったウイング翼端板と支柱をつなぐネジは、今でも大事な宝物だ。見ているとあの頃の気持ちが炎のように燃え上がってくる。
ミニチャンプスのモデルと合わせたのは、押入れから出てきた出所不明のウオルター・ウルフのタオル。

ウルフWR1のウイング翼端板を止めるネジ
2007年12月05日
6輪F1登場期 マーチ761

テストだけで実践投入されていない6輪F1、マーチ761・6輪。
全て前輪サイズのタイヤにして空気抵抗を減らそうとした縦型6輪。後部が4輪駆動のため、全長が長く重そうな感じが否めない。
後年のウイリアムズ6輪はコンパクトにまとめてあるところが流石。
タイレルP34の成功(?)により、'76~77年はフェラーリも含めて6輪F1が多く登場した時期でもある。
TVアニメ『アローエンブレム グランプリの鷹』では劇中のF1ショーで、タイレル、フェラーリ、マーチの6輪F1を見た主人公が“8輪F1”を考え出す。
また星野一義氏、鈴鹿サーキットが監修したアニメ『走れ! ルーベンカイザー』はマーチそのままの6輪F1である。
後からマーチF1のスポンサーカラーをまとった同モデルがリリースされているが、それは“お遊び”だろう。本来は真っ白な車体だったはず。
白車体で、スポンサーステッカーもGYとチャンピオンプラグしか見当たらないので、チャンピオンのステッカーと合わせてみました。
2007年12月02日
アースが生んだホンダのRA107

地球をモチーフにしたアースカラーが美しく、とても好きなF1マシン、ホンダRA107。
今年のF1“も”あまり見ていませんが、このマシンだけはミニチャンプスからリリースしたら入手しようと決めていました。
ところが、他チームの'07年型は次々モデル化されていく中で、RA107だけはなかなか出ず、やきもきしていました。日本GPに発売を合わせていたのでしょうか?
ようやく発売されたと思ったら即完売。みんな待っていたんですねー。
バトンの方が人気で、バリチェロ車しか入手できませんでした(ルックスの差?)。それでもRA107がウチに来てくれればOKなのです。
このマシンを見ると常々「マシン後部が黒塗りなのは何故?」と疑問に感じていました。
ホンダ仕様のモデルパッケージを見て“ようやく”気付きました。黒い部分は“宇宙”だったと。宇宙の中の地球だったんですね。
バブル期に流行ったバッグのように、マシン全体を地球にしていなかった理由が分かり、胸のつかえが取れた気分です。
ミニチャンプスのRA107は、マシン全体をデカール処理しているらしいのですが、細かいスポンサーロゴを貼り付けるのと、全体を覆うのとではどちらが難しいのでしょう?

RA107日本GP仕様 朝一で撮ったので周囲に誰もいません
2007年11月02日
センセーショナルなうさぎ B187

初めて見たカラフルなマシーン。対照的に“かわいい”うさぎがマスコット。それだけで虜(とりこ)になった―。
'87年のF1日本GPで10年ぶりにやってきたF1サーカス。色とりどりのマシン群の中にあって一際“美”を放っていたのはベネトンB187。
前年のハケで塗ったようなカラーであったB186からガラリとデザインを変え、原色を配置してサーキットに映えるマシンになった。
当時のベネトンは跳ねるうさぎ+ファイヤーレインボーがエンブレムとして使われていた。
販売ブースで見つけたステッカーとキーホルダーが気に入ってしまい、2セットも購入してしまったほど。

メタルチックな地にうさぎ+ファイヤーレインボーのステッカー
待望のB187がミニチャンプスからリリースされた。
エースナンバー「19」ではないが、テオ・ファビよりティエリー・ブーツェンの方が好きなので、ゼッケン「20」のマシンを購入した。
当時はベネトン・グループのロゴが大半を占めていた。翌年からは消えてしまうピンクのラインも入っている。
コックピットより後ろが長い車体。巨大ウイング。ターボ時代のマシンを象徴している。
ブーツェンのスーツや、まだアナログな丸メーターまで再現されているのが嬉しい。
さあ、ベネトンで残すところは'89年日本GP優勝マシンであり、一番好きなB189のリリースだ。忘れず早く発売して欲しい。

車体を擦って巻き上がる火花がカッコ良かった
T・ブーツェンのB187/フォード
2007年07月01日
フランスGP記念 アレジのベネトン

カリスマ性のあるシュー・マイケルとJ・ハーバートが抜けたベネトンに、フェラーリからジャン・アレジとG・ベルガーのコンビがソックリ移籍してきた。この2人もベネの華やかさに合った良いドライバーだと思った。
前年のB195のカラーリングに比べると単調になってしまったが、'96年のマシンカラーも悪くはない。
アレジのベネトンを捜していたら、オークションにミニチャンプスの出物があったので落札した。
手元に届いて眺めていると「あれ?」と違和感を抱いた。このマシンはB196ではない!―と。前年のB195を'96カラーにしたものだった。シーズン序盤かテスト時のマシンなのだろう。オークションの写真でしっかり確認しておけばよかった。
―などと嘆いていても仕方ない。ドライバーがアレジで'96カラーのベネトンなのだからいいじゃないか。

マシンに白色部分が多くなり、メインスポンサーである日本のタバコ色が強くなった。ベネトンを象徴するレインボーファイヤーはマシン後部に大きく描かれている。
ビューティー・カラーのマシンとしてはこれがギリギリ最後だろう。
ミニチャンプスは早くベネトンB189とB187をリリースして欲しいものだ。

取り込んだ写真もベルガーだった…
2007年06月02日
F2初のウイングカー 星野マーチ792

珍しくF2マシンでモデル化されているマーチ792。F1でのウイングカー時代に追従したF2初のウイングカーだ。
ミニチャンプスから星野車、長谷見車、中嶋車がリリースされているが、やはりファンとしては星野車が欲しい。発売当時はまだミニカーを集め始めた頃だったので、5千円もするモデルは恐れ多い存在だった。
最近になってネットオークションに出ているのを発見して落札したのだ。フロントウイング無しのJAF鈴鹿GP仕様よりも、基本的なウイング付きのマシンが欲しかった。

星野選手のフィギャや露出したエンジン部分の作り&塗装が細かい
サイドポンツーンのウイング構造はもとより、スカートが路面(台座)にピッシリ付いているところが本物らしいこだわりがある。やはりウイングカーはこうでなくては。
マーチ792と同時期(?)にリリースされていたF2マシン・NOVA532の星野車も欲しいのだが、出回っているところを見た事が無い。
熱烈なファンが持っていて手放さないのだろう。それはそれで嬉しいのだが。

'80年末に大御神レース村で発見した792星野車のサイドプレート
アルミ製で、2枚のプレートの間にスカートが仕込まれている。バネの固定が無くなっているため、手で抑えていないとズリ落ちてくる。
現在のカーボンと違い、かなり重い。
2007年03月01日
いらないなんて言わない― ベネトンB188ハーバート車

「同じマシンを2台はいいだろう」―と書きつつも(5/18 カラーリング美/ナニーニ・ベネトンB188)、買ってしまった! ベネトンB188ハーバート車。B188は先に発売されていたナニーニ車を持っていたのに…。やはりB188はジョニー・ハーバートのイメージが強い。F1デビュー戦で4位入賞したセンセーショナルなイメージがあるからだろう。逆にナニーニは優勝したB189が似合う。

並べるとマシンのカラーリングの違いが分かる
’06年のF1日本GP予選に行った(10/8 ありがとう鈴鹿 F1日本GP予選観戦)。シューマイケルのF1ラストランを観るのが目的だが、もう一つ、鈴鹿のミニカーショップも覗きたかったのだ。
果たしてサーキット前のショップにはミニチャンプスF1の最新モノだけでなく、チョイ昔にリリースされた商品まで置かれている。残念なのは昔モノはプレミア価格になっているという事。
新しい商品はバーゲン特価になっていたので、しばらく物色していた。B188ナニーニ車の新カラーがあったので「ハーバート車があればナぁ」と思っていると、赤いヘルメットのB188を持っている方が目に止まった。瞬間的に「このハーバートどこにありました!?」と聞いてしまった。「あの辺り」と教えてもらうやいなや踵(きびす)を返し、無くなっていない事を祈りつつ人の流れを逆流した。あまりに急いでいたため教えてもらったお礼を言ったのかどうか覚えていない。失礼な奴だったなと反省する。
―こうして巡り会えたハーバート車(しかも特価)。もう「同じマシンを2台はいいだろう」なんて言わない。カーNo「19」「20」並べて飾ろう。好きなマシン、好きなドライバー達だから。
2台は同じマシンだが、細部スポンサー・カラーが異なっているところが面白い。ミニチャンプスはドライバーのヘルメットやレーシングスーツまで細かく色付けがなされているので、ドライバー別にそろえた意味も大きい。
あとはブーツェンのB187とナニーニのB189のリリースを待つばかりだ!

ナニーニ車だが、カラーリングが同一のベネトンB188
2006年12月16日
赤い彗星 セナ/マクラーレンMP4/4

F1では黒、黄、青―とスポンサーカラーに合わせた色のレーシングスーツを纏ったアイルトン・セナ。だがやはりイメージとして一番最初に頭に浮かぶのはマクラーレン当事の赤だ。チャンピオンを獲り、多くの名勝負を展開した時の色。
日本でセナ人気が高まったのは'88年日本GPで初タイトルを獲得してからではないかと思う。それまでは単にF1トップドライバーの1人でしかなかったはず。ロータスの黄色のスーツを来てサーキットを歩いていてもあれほどの人だかりはできなかった。
「セナ様」と呼ぶ妙な人気からか、ドルフィンは年を追う毎にややアンチ・セナに傾いていった。
それでも何年の日本GPだっただろうか…セナが予選で鈴鹿のコースレコードを出したスーパーラップは忘れられない―。
約6㌔のコースでたった1秒詰めるだけなのだ。それなのに明らかに他車とコーナーリング速度が異常なほど違った。ダンロップ下で見ていたのだが「これは(レコードタイムが)出た!」と瞬時に分かるほど。

’88年日本GP 鈴鹿の裏ストレートにて
数々の名場面を脳裏に刻ませてくれたセナ。自分が彼の愛機を1台選ぶなら、シリーズを圧勝し初チャンプとなったマクラーレンMP4/4 ホンダになる。
当初、マクラーレンやセナのモデルカーは急いで欲しいとは思っていなかった。今年のF1日本GPに行った際、サーキット前のモデルカー屋でミニチャンプスのセナコレクションがかなり安価で販売されていたので これが縁だと思って購入。観戦した’88年日本GP仕様になっているのが良い。

スーツのワッペンまで細かい!
マシンの精密再現はもちろん、セナコレと銘打ってあるだけあってドライバーのヘルメットやスーツまで緻密に塗装されているのが素晴らしい。
こうしてじっくり眺めると、当事の最強マシンも現在のF1に比べたら単調な形状をしているなと感じてしまう。20年の歳月は大きいものだ。
小雨の中、ガッツポーツでフィニッシュラインを通過したセナ。表彰式後の空には虹もかかっていた。貴賓席からスタンドを通って退出した本田総一郎氏の目にも涙があった。鈴鹿F1開催2年目の終幕は清々しいものだったとしみじみ思う(←もうオジサン?)。

'95パシフィックGPにて この姿が最後になってしまった
多年チャンプや様々な記録を樹立した最強コンビのセナとプロストだが“ぶつけてチャンピオンを獲る”という悪しき伝統を創ったのも彼ら。
'91年鈴鹿で「先に1コーナーに入った者が優勝する」と事前取り決めしていたため、最期の最期に(相当悩んだのだろう)ベルガーに優勝を譲った茶番劇を演じたのも彼。シラケた展開を無理やり「友情」に置き換えたメディア。この年は観にいかなくて良かったと今でも思っている。
悪い事もあったが、セナは歴代F1ドライバーの中でもカリスマ性のある偉大なドライバーには違いない。

2006年11月20日
ラスト・ロクリン ウィリアムズFW08B6輪

6輪F1はタイレルP34だけではない。マーチが後輪縦置き四駆型のマシン(4/11 本当に走らせたのか?F1マーチ6輪テストカー)を、フェラーリが312T2を後輪横並び型にしてテストしていた。ウィングカー登場直前の'76~77年はタイヤ数を増やして接地力を高める―との考えが強かったようだ。しかし、実践投入されたのはタイレルP34だけだった。マシンやタイヤ開発の費用がかかるだろうが、“車は4輪”という常識を打ち破る6輪車は目にカッコ良く映る。事実、注目を集め、商品人気も高かった。
6輪車開発ブームも去り、ウィングカー時代全盛期になった'82年。いきなり6輪車を発表したのがウィリアムズだ。しかも、それまでの6輪車と決定的に違うのはウィングカーであるという事。ウィリアムズFW08B・6輪は後輪縦並びのマーチ型。
FW08B6輪の写真を雑誌で見た時にはブッ飛んだ。「実践投入されないだろうか」とワクワクした。だが残念ながらこのマシンもテストカーだけで終わってしまった。コンパクトウィングカーで大成功したウィリアムズ・チーム。BIGなスポンサーを得て金持ちチームの道楽だったのだろうか?
その後、今日に至るまでF1レギュレーションで4輪車のみと義務付けられてしまい多車輪マシンの登場は無くなってしまった。ラスト・ロクリンがサーキットで他のマシンと競り合うシーンを見たかった。

詳しく写真を撮りたかったがケースが台座にくっついて開かなかった…
ミニチャンプスのカタログを見てウィリアムズFW08B・6輪が発売予定にラインナップされているのを知った。「なんとマニアックなマシンを…」と思いつつ、発売を待ち望んでいた。そて今月。遂に発売となり即効GET。
写真でしか見た事が無かったので、モデルカーとなって細部をマジマジと眺めることが出来た。リアタイヤの前までは当時の最強マシンFW08のまま。十分ダウンフォスを得ているのでフロントウイングは無い。しかし後部は前輪と同サイズのリアタイヤ4本。後ろまで延長されたアンダーウイング。ダウンフォースと空気抵抗、接地力を欲した当時の技術が伺える。
長い事待っていただけのことはあるカッコイイマシンだ(ドルフィンは変わったF1マシンが大好き)。
できればフェラーリ312T2・6輪もモデル化して欲しいものだ。

パッケージも凝っている
ウィリアムズのロゴとFW07(?)のラインイラストが描かれていてカッコイイ
2006年10月06日
初恋の味 ベネトンB186

鮮やかで幾多の色がハケで塗られた ようなカラーリングを施したF1・ベネトンB186。このマシンの登場は衝撃的だった。それまで格好良くまとめられたデザインやド派手なカラーのレーシングカーはあっても、芸術的センスを持ったデザインカラーのマシンはこれが最初ではないだろうか。
まだ鈴鹿でF1が開催される前なので専門雑誌の写真でしか見た事が無い。ハケカラーのB186の登場で、ベネトンが大好きになった。
写真でしか見られない好きなマシン。実物を、走っている姿を見てみたい―まるで初恋相手の写真を見つめて胸トキメかしている様でもある。
ベネトンの色作戦はエスカレートし、4本あるレーシングタイヤの側面にまで色を付けてしまった。元が黒いゴムなので、そこにペイントしてもあまり綺麗ではなかったのだが…。
ドライバーは若きゲルハルト・ベルガー(髪もまだある!)。このB186ので自身もベネトンチームとしても初優勝を遂げた。そのベルガーが今日から開幕したF1日本GPの決勝日、鈴鹿F1往年の名車走行イベントに来るらしい。現役当時のカッコ良さが失われていなければ良いのだが。
ミニチャンプスから出ているB186.ベルガーのヘルメットはフェラーリ移籍後から現在に至るまでのものではなく、ベネトンを意識した当時のデザイン。知らない人は「エッ!? これベルガーじゃないんじゃないの?」と思うかもしれない。多彩ではあるが、デザイン的に地味だと感じる。
マシン最大の特徴であるハケカラーが丁寧に再現されているのが嬉しい。近年F1マシンの複雑な曲面を使ったボディと配色よりは作りやすいかもしれないが。
現在では新品を販売している事はなく、ネットオークションで見つけて落札した。同じモノなのだがその時によって落札価格が大きく違う商品だった。まだオークションを始めて間もない頃だったので、安めに入札し、上限を決めてそれ以上は深追いせずに次を待ったのだった。
好きなベネトンのマシンは残すところナニーニのB189の発売を待つだけとなった。

B195

B190

B188
2006年06月16日
ファイナル・ビューティー ベネトンB195/シューマイケル

マシンボディに“ハケ”でペイントしたようなカラーリングのベネトンB186に心を奪われベネトン・ファンになった。その後、美しいマシンを発表し続けたベネトンだが、「綺麗だ」と思えるカラーリングのマシンはB195で最後になった。キャメルイエロー中心の時もパッとしなかったけどね。
ブルーのスポンサーカラー中心であるものの、リヤに大きく描かれたファイヤーマークと、サイドポンツーンのイエローがアクセントになっている。この部分がグリーンのベネトンロゴだと地味になってしまうから不思議だ。
シューマイケルのB194~195は思い出のマシンでもある。
'94年のシューマイケルはプロスト、セナという偉大な先人に習い“ぶつけて”チャンピオンを採った年。それでも雨の日本GPは激しいクラッシュ続出の中、ヒルと好勝負を演じ、記憶に残る見応えのあるレースだった。
'95年はTI、鈴鹿の日本2連戦で、観戦に行ったドルフィンも9日間で7日もサーキットにいたというとんでもない生活を送った。よく会社をクビにならなかったものだと、寛大なる処置に感謝しなくてはならない年になった。 TIでチャンプを決めてスタンドからピットから「シューマッハ!」コールが湧いた時には鳥肌が立った。

TIサーキットではマシンを近くに感じることができた
ミニチャンプのナンバーであるベネトンB195は現在では在庫が無い貴重品。そのためオークションでの入手になった。このマシンを美しいと思うっている方が多いようで、シューマイケルのマシンの中でも人気車種になっている。スポンサーロゴがより精巧な綺麗なモノほど高額落札になっていて、なかなか落札できなかった。
希望のカラーリングになっているB194/195を入手でき、これで好きなベネトン(モデルが出ている車種)が全てそろった。
ドルフィンはタバコ嫌いなので、タバコ会社のロゴが入っていなくても一向に構わない。配色が大事なのだ。近年ルノーのようにゴチャゴチャする事無く、天の川のように流れる色(カラー)。ゼッケンNoの「1」はカラーバランスを崩さない最小の数字でしかない。
生粋のフェラーリ育ちかのように赤が似合っているシューマイケルだが、ドルフィンの中ではミスター・ベネトンの1人である。

後姿も美し~いッ
ドルフィンの写真の中でもとても非常~に良く撮れた2枚
2006年05月31日
超接近バトル オペルベクトラ

マンガのように超接近バトルになるレースがあった。DTM・ドイツ・ツーリングカーレースを発端にしたITCだ。シリーズ終焉を飾る戦いが鈴鹿で行われた。DTMの頃から好きだったので、予選から観に行った。
元F1ドライバーやF1を狙っているヤングタイガーが、F1を凌ぐハイテクマシンを駆る。3ワークスの対決でもある。重量ハンデ制で混戦を演出。これだけの要素があって見ていて興奮しないはずが無いッ!

日本でも人気があるJ.J.レートがステアリングを握るのはチーム・ロズベルグ(チーロズ)のオペル・ベクトラ。チーロズは元F1チャンピオンのケケ・ロズベルグが組織したチームでスター性がある。相棒は元F1ドライバーでベテランのH・スタック。

ミニカーに興味を持った最近になって'96年鈴鹿ITCのモデルを入手するのは難しい。 「プレミア付きには手を出さない」主義だったがオークションで探した。同じマシンでも年式やカラーが違っては意味が無い。自分が見て興奮した鈴鹿参戦カラーのマシンでなくては。その執念が実ってかGETすることができて嬉しかった。
モデルを作っているミニチャンプスはスポンサーにもなっている。イエローとレッドの美しいカラーリング。アルファとは対照的に丸みを帯びた柔らかなフォルム。ディティールの細かさは見ていて飽きない。あの日の興奮が甦ってくる。
2006年05月18日
カラーリング美/ナニーニ・ベネトンB188

近代F1の中で一番美しいカラーリングのマシンはベネトンB188と189ではないかと思う。元々ベネトンがトールマンを買収した後から凝ったカラーリングになっている。原色を組み合わせ、1色に1スポンサーを割り振っている。
ベネトンのドライバーで頭に浮かぶのはハーバート、ナニーニ、シューマッハだ。そしてB188はハーバートのイメージがある。鳴り物入りでF1にステップアップし、ベネトンのシートを得た。初戦4位も後にクラッシュでF1から去り、日本F3000へリハビリに参戦していた。
だが、ミニチャンプスのB188が発売された時はナニーニモデルだった。ナニーニは優勝したB189が似合うのに…。ナニーニは好きなドライバーだ。しかしB189のモデルは未発売。どうする?
苦渋の決断でナニーニ車を購入した。後にハーバート車が出た時も購入を悩んだ。「同じマシンを2台はいいだろう」―こちらもも苦渋の決断だった。


幅広のフロントウイングが特徴のマシン。入手モデルは黄色部分にキャメルのラクダが描かれているものだ。小さくなっても原色組み合わせのカラーリングが綺麗だ。つい見とれてうっとりしてしまう。
ナニーニ(元)選手がオーナーを務めるレストラン「ALESSANDORO NANNINI」ができた時に、ディナー予約者の中から抽選でミニチャンプスがプレゼントされたらしい。ディナーには行かなかったが、ナニーニファンとしてランチには行ってきた(余談)。

'88年F1日本GPでのナニーニ選手
翌年、ボウリングをしているナニーニ選手にベネトンの手作り応援旗を見せると、喜んでくれてサインして頂いた。

2006年04月13日
ユニークなウイングカー・アロウズA2

F1ウイングカー全盛期、ロータスのコーリン・チャップマン監督が考えたグラウンドエフェクトをいかに改良するかが各チームの焦点だった。
タイレルのようにアッサリ“ロータス79”をフルコピーしてしまうチームもあったが、アロウズは新たな手法に出た。A2はフロントサスペンション部分も翼断面のカウリングを施し、さらにサイドパネルをボディまで繋げている。本当にレギュレーションのサイズに合致しているのだろうか?
当時の雑誌には「特許出願中」のステッカーが貼られていたとあったが、大きな効果が得られず“特許侵害”など皆無に終わった。色々なチームがユニークなマシンを登場させたが、結局一番早かったのはオーソドックスでコンパクト仕上げのウィリアムズFW07だった。
フェラーリやマクラーレンといった一流チームのマシンはカッコイイが、私は当時のユニークなマシンの方が好きで、モデルカーがあれば集めたいくらいだ。
よりグラウンドエフェクトを追求し過ぎたために失敗したロータス80とか、ダウンフォースの中心を後部に持ってくるためにサイドポンツーンを思いっきり後ろに取り付けたフィッティパルディF6、。マシン全体がウイング形状のカウーゼンWK1はカッコイイ。ミニチャンプスでは完売してしまっているブラバムBT46B(サカーカー)。どれも個性的で好きだ。是非モデル化してほしい。
モデルのA2はJ・マス車。マスのヘルメットはシンプソン。口元にスリットが入った独特の形状は、ダースベイダーの面にも似ていた。当時シンプソンと契約しているドライバーが多く、憧れだった。自分がバイクに乗るようになってからは常に真紅のシンプソンのヘルメットを被っていたほどだ。

'84WECJAPANの時にもらったヨッヘン・マスのサイン。この時はロスマンズポルシェ956をドライブ。
日本でF1が開催されていない時期のマシンのために、見られ無いと思っていたアロウズA2だが、御殿場のレーシングカー博物館「レーシングパレス」で展示されていた。
登場から十数年を経て初めてA2を目にすることができて嬉しかったなァ。ミニチャンプモデルは発表当時のタイプだが、「―パレス」に収められているのはパトレーゼ車の後期型。リヤウイングがハイマウントになっている。

2006年04月11日
本当に走らせたのか?F1マーチ6輪テストカー

'76年、F1界はタイレルP34の成功により“6輪車ブーム”が沸き起こった。タイヤを小さくして空気抵抗を減らし、減った接地面積を多車輪で補おうとうい考えだ。まさにマンガ的。
F1にも参戦していたレーシングカーコンストラクターのマーチが発表した6輪は、前輪と同径のタイヤを後方縦列に配置。しかも四輪駆動なのだ。
アイデアは面白いがいかんせん重い、重すぎるのだ。軽くしなくてはならないレーシングカーにとって、これだけのシステムをフォードコスワースV8で動かすのは無理がある。結局はテストカーだけで実戦には登場してこなかった。
写真も止まっているものしか見たことが無い。実際に走行テストしたのか疑問。もしかしたら製作したのは“展示品”で、話題に誘われてスポンサーが食いついて来たら走行できる車を作ろうと考えていたのかもしれない。
マシン自体は縦型6輪というユニークな形で面白いとはいえ、よくモデルカーの商品にしたものだと思う。ホワイトボディーだし。丁度、行きつけのモデルカー屋でセールになっていたから思わず飛びついてしまった。マニアには人気があるのか、ネットでは完売している店が多かった。
できればフェラーリ6輪(後輪がフロント型タイヤを横置きダブル)やウィリアムズ6輪(マーチ型)もモデル化してもらいたいものだ。
2006年04月04日
パドックでパーツをもらった思い出のウルフWR1

'77年F1日本GPは富士スピードウェイで開催された。
夢中になっていたせいだろう、この頃から'80年代までのF1が一番面白いと思うし大好きだ。ウイングガー元年。様々な空力アイデアを盛り込んだマシンが登場し、技術格差が広がった。
それでも'90年代からの資金力によるチーム差ー同じマシンでしか勝負にならない。このチームだからこの順位は素晴らしいという"おかしな"観戦の仕方-ほど極端なものではなかったように思う。型落ちのマシンでも上位に食い込めたし、雨ともなれば普段は下位のドライバーも優勝争いを演じていた。
日本GPはJ・ハントの独走という単調なもので終わったが、F1レースを見られるだけで嬉しかった。今ほど警備が厳しくなかったサーキット。悪ガキはレース終了間際に金網の隙間からピット裏に侵入。優勝者と2位のいない表彰式を真下で、ハントが着替えをしながらインタビューを受ける様子を間近で見ることができた。
その後、パドックをウロついて解体されるマシンを眺めていた。クラッシュ・リタイアしたM・アンドレッティのロータス78が置いてあった。リアウイング左翼端版に“妙な浮き”を見つけた悪ガキはそこに手を伸ばした。ペリペリペリ…。サンドイッチ構造の翼端版が剥がれてしまった! そんなつもりは無かったのに。悪ガキは逃げた。もう時効だろうから白状します。
マーチのV・ブランビラとA・リベイロにサインをもらった。
ウォルターウルフチームのパドックでマシン解体を見ていると、メカの1人が外したネジを放ってくれた。「記念に持ってけ」と。憧れのF1マシンに今まで付いていたネジ。悪ガキの喜びは計り知れなかった。

ウルフWR1/ジョディ・シェクターのモデルは日本GP仕様。
ネジは左翼端版を止めていたもの。サビ防止のためにプラスチックコーティングして保存して現在に至る。
