2008年05月10日
アントキのビギナ~ チャンピオンバイク

ミニカーを集めはじめた頃は「好きな車だけ」と思っていたのが、いつの間にか“シークレットBOXモノ”が発売されると“つい”手を出してしまうようになっていた。
“入手する事で満足感を得る”ようになってしまっていた。
初心にかえってシリーズ最初の1台を手にした時の感動を思い起こしたい。題して『アントキのビギナ~』。
トミカシェブロンに端を発したミニカーコレクションだが、意識的に集め始めたのは「隔週刊チャンピオンバイク」の刊行から。
ドルフィンは元々はバイク嫌いだった。子供の頃、裏の家がバイク暴走族の溜まり場で五月蝿かったり、FISCO廃止問題(四輪暴走族)があったからだ。
偶然TVで見た雨の全日本ロードレースが面白かったり、映画『汚れた英雄』の影響があり「レースはOK」と徐々に雪解けしていったのだった。
足代わりに借りた友人の50ccバイクで開眼した。「バイクというモノがこんなに面白いとは!」―と。あの感動は今も忘れない。
そして漫画『ふたり鷹』『バリバリ伝説』による鈴鹿8耐ブーム。二輪世界選手権の戦国時代―。
当時の興奮を蘇らせてくれたのが「チャンピオンバイク」だった。
'80年代のマシンだけを集めるつもりだったので創刊号はパス。しかし衝撃的な加藤大治郎選手のホンダRC211Vを外す事はできず、このマシンがシリーズ最初の入手となった。
「チャンピオンバイク」で最後に入手したのがノリックのヤマハYZR500だった…。
2008年03月26日
青い炎と赤い炎 YZR500

2輪のエディー・ローソンはF1のニキ・ラウダと似ている。堅実な走りと緻密なポイント計算でチャンピオンシップを戦うところがだ。
しかし、ラウダほど熱いものをローソンからは感じない。ラウダが真っ赤に燃える炎だとすればローソンは青白い炎のようだ(青白い方が高温なのだが、この際は“たとえ”で)。
シュワンツのような“一か八か”的な走りは絶対にしないところが淡白に感じるのだろうか。
'90年の鈴鹿8耐に参戦、優勝をかっさらうところは見事としか言いようがない。平選手の積年の目標達成に貢献した。
この時ばかりは青いマシンに真っ赤な炎が灯った。
チャンピオンバイクのモデルはW・レイニーのYZR500が、今回、ローソンをテーマとして使用。
マールボ○のチャンピオン獲得記念ステッカーとショウエイのステッカーとともに。
チャンピオンバイクではローソンモデルが出なかったのが残念。GP500では3メーカーで走っているのに。

2008年03月23日
韋駄天ガードナー NSR500

W・ガードナーは日本では人気の高いGPライダーだろう。モリワキから日本デビューを果たし、全日本での活躍が認められてホンダ・ワークス入り。WGP500ccクラスに参戦した“日本育ち”のライダーだからだろう。
ヤマハの平選手と毎戦デッドヒートを繰り広げた全日本500ccは面白かった。
印象に残っているのは平選手が“やっと”一矢報いた最終戦・菅生。負けレースが一番脳裏に焼きついているとはヘンな話なのだが。
鈴鹿8耐も通産4勝を挙げていて、そこでも日本に馴染みが深い。特に初優勝時は、ペアの徳野選手が日本人として8耐初優勝だっただけにインパクトが強い。
ガードナーと言えば○スマンズ・ホンダNSR500。鈴鹿でも○スマンズRVF750を駆っていた事もあるので、イメージがダブる。
チャンピオンバイクのモデルと合わせたのは○スマンズ、ショウエイ、鈴鹿8耐でもらったレイバン・サングラスのガードナーモデルのステッカー。

'86富士スーパースプリントでのガードナー/NSR500
過去2年、鈴鹿8耐に合わせてリリースされてきたサークルKサンクス限定、京商「鈴鹿8耐バイクシリーズ」だが、歴代8耐名バイク編も出して欲しいものだ。
優勝マシンに限定せずモリワキやelf-e、童夢といった個性的なバイクもモデル化して欲しいと願う。

JGTC参戦時に頂いたサイン
2008年03月12日
シュワちゃんの「34」 スズキRGV-Γ&GSX-R

“シュワちゃん”と言っても未来から来たロボットでも、州知事でもない。500cc世界チャンピオン、ケビン・シュワンツだ。
スズキRGV-Γ500に乗っているときにゼッケン「34」を付けていた。チャンピオンになってからもゼッケン「1」の下に小さく「34」を入れていたほど。
優勝かリタイアか―攻め込むライディングは観る者を魅了した。きっと彼を嫌っている観客はいなかったのではないだろうか?
コーヒー付きミニカー「名門ヨシムラ炎の復活」で鈴鹿8耐優勝のヨシムラGSX-R1000を見た時、ゼッケンが「34」だったと気付いた。
ヨシムラのエースナンバーは「12」ではなかったかな?
スズキのバイクでゼッケン「34」を付けたのは意味があったのだろうか?


2007年10月08日
早いゼ! ノリック!!

カッ飛び過ぎだゼ、ノリック。早い、あまりにも早く天国に走って行ってしまった…。
出勤前、朝のニュースでノリック=阿部典史氏が公道事故で亡くなった事を知った。信じられない。「まさか!?」と耳を疑い、確かめようとTVをザッピングして報じている局を探したほどだ。
華が有りスター性のあるライダーだった。今年の鈴鹿8耐にも参戦し、ファンに顕在をアピールしたのに。

オートバイ世界選手権日本GPGP500クラスのデビュー戦やノリックが逆転優勝した時の興奮は今でも忘れない。そしてこれからも―。
さらばノリック…。


2006年11月24日
マンガ的バイク elf3

「未来のバイクはこうなる」―マンガ『―鷹』の劇中で東条鷹がそう語っていたのだが…。
タイヤを挟む2本のフォークとスイングアームは昔から変わらぬオートバイの形。その形を変えたのがelfマシンの数々。先出の台詞は初代elf-eを語ったもの。エンジンブロックから伸びた片持ちフォークとアーム。タンクをエンジン下に置いて低重心化した設計は今見ても斬新。
そんなバイクが展示車ではなく実際にサーキットで戦うのだから凄い。マンガに登場するようなバイクが実際に走るのである。写真を見ては「この目で見てみたい」と胸をときめかせた。elf-eは鈴鹿8耐も出走したが、この年は鈴鹿8耐に行けなかった。今でも残念に思う。以降のelf-2からはWGP最高クラスのGP500クラスに参戦。

日本でWGPが開催された当時は開幕戦になる事が多く、elfは新車が間に合わず、ホンダNSRを使用していた。そのため日本GPにelfのマシンが走る事無くelfプロジェクトは終了した。
しかし、唯一、日本でレースを走ったマシンがある。elf-3だ。日本GP開催前年の'86年。バブル景気に沸く日本はGP500と250の主な選手を招いた「スーパースプリント'86」を富士スピードウェイで開催した。出場選手の豪華さとelf-3見たさもあり、観戦に出かけた。WGPと全日本のライダーが競うイベントは面白かった。
チャンピオンバイクは創刊予告の段階からelf-3のモデル写真を掲載していた。「いつ出るのか?」と待ちわびていたが、引っ張るだけ引っ張って「もう企画倒れ?」と思っていた頃に登場した。
ホイールやアームのシルバーがキツイのが気になるが、elf-3のモデル化は初めてではないだろうか? それだけに嬉しい。
2本で片持ちのフォークの構造や、ホンダRVF→市販VFRへと受け継がれるリアのプロアーム。写真と違って構造をマジマジと眺められるのがいい。展示する時は後ろに鏡を置かないとelf-3の魅力は半減してしまうかもしれない。
モータースポーツを幅広く支えているelfのシンプルなスポンサーカラーもカッコイイのだ。
現在(当時からしたら未来)のバイクは東条鷹が語ったような形にはなっていない。安全上の理由かもしれないが、一部の市販バイクに類似構造があるのみ。レースの世界だけでもいい。またこのようなマンガ的バイクが登場して欲しいと願う。

スーパースプリントのelf-3&ロケット・ロン
実車はコンパクトに感じた。スタンドからは反対側を見られない。ヘアピンまで行かないと…
2006年10月16日
スマートなライダー レイニーYZR500

ガードナー、シュワンツ、そしてローソンと2輪世界選手権でチャンプ争いを繰り広げたライダー、ウェイン・レイニー。当時の個人的見解では映画『スーパーマン』のクリストファーリーヴ氏に似てるなーと思っていた。モデルのようなルックスとは対照的な攻め込むような走り。―そのギャップがカッコ良かった。
事故で再起不能、車椅子生活になったと雑誌等で知った時はショックだった。しかし、チーム・レイニーの監督としてサーキットにカムバックしてくれたのは喜ばしい事だ。
さらにWGPにデビューしたノリックを指導するレイニー監督の姿も印象的。
チャンピオンバイクの1台、レイニーのヤマハYZR500.昔からある赤白のタバコカラーが良く似合う。タバコ広告禁止国仕様になっているが、縦ラインが微妙にタバコ名のロゴっぽく見えるようにしているところがニクイ。
市販車にも取り入れらるほど特徴的な後方2本出しのチャンバー。チャンピオンバイクだけでなく、京商の8耐シリーズにも言える事だが、チャンバーの筒が空洞になっておらず、型の接合がモロ見えになってしまっている所が悲しい。価格を考えれば仕方ないのだが。もっと高価な同サイズの市販ディスプレイモデルではどうなっているのだろう?

チャンピオンバイクシリーズで当時のチャンピオンとしてはエディ・ローソンだけがモデル化されていないのだが、何故だろう?
2006年08月13日
ノるか?ソるか?栄光の「34」 RGVγ500

優勝か転倒か!? こんなマンガのようにドラマチックでタイガーなライダーがいた。ケビン・シュワンツ。ギンギンに攻め込むライディグは観客を魅了した。
安定して早いE・ローソンは早くにタイトルを獲ったが、シュワンツは勝ち星の割りに総合ポイントが稼げなかった。怪我も多かったが、それでもファイト溢れる走りは、メーカー別ファンの壁を乗り越えてロードレースのファン全体に愛されていたと思っている。
さらにシュワンツは若き日に鈴鹿8時間耐久レースも走っていて、85年には3位に入っている。
ヨシムラからベテランのG・クロスビーの相棒として初出走した時、プログラムや選手紹介を見ても「誰?このライダー??」-って感じだった。よもや彼がWGPで大活躍するとは思いもせず。

鈴鹿8耐でのシュワンツ
シュワンツがタイトルを獲ってくれた時は嬉しかったな。正に「ようやく!」という言葉がふさわしい、待望のチャンプだ。
翌年は栄光のゼッケン「1」の下に小さく「34」を残していたのも、彼の走る魂の表れだったのだろう。
チャンピオンバイクからリリースされたシュワンツのスズキRGVγ500。白赤のタバコカラーが良く似合っていた。独特形状のリアアームやチャンバー…。彼の熱い走りを思い出させてくれる。

2006年07月27日
ノリック鈴鹿優勝の衝撃 ヤマハYZR500

GP500で阿部典史=ノリックが鈴鹿で逆転優勝した時の興奮は今でも忘れない。2輪ロードレース最高峰クラスで日本人が地元優勝したのだから。チャンピオン経験ライダーとの激しいバトルの末、シケインでトップを奪ってチェッカーを受けるノリック。TV観戦ながら眼前で繰り広げられているかのように見入っていた。
ノリックは後に加入するチーム・レイニーのタバコカラーの印象が強い。しかし、チャンピオンバイクでのリリースはチーム・ロバーツでのカラーになっている。
近代マシンに近い流線型カウリングと、二本並んだチャンバーがヤマハYZR500の魅力だと思う。そのため、チャンバーが見えるように逆向きから写真を撮ってみた。
最高クラスでのチャンピオンは獲れなかったが「日本人でもやれる!」ということを知らしめてくれたのはノリックだ。


Fニッポンのテスト日に高木虎之助選手の陣中見舞いに訪れた時のノリック
私服ながらその風貌とオーラからすぐにノリックと分かり、人が集まる前に速攻でサインをもらいに走った(笑)
なんとなく雰囲気が似ているトラとノリック
2006年06月11日
キングの伝説/ケニー・ロバーツ YZR500

バイクで峠を攻める時、ハングオンしてコーナーギリギリ詰めて走ると気持ちいいよね(オートバイは安全に楽しく乗りましょう!)。でも、数十年前までオートバイって体とマシンが一緒に倒し込む走り方だったらしい。このハングオンを始めたのがケニー・ロバーツだと聞いたことがある(本当?)。
私が2輪モータースポーツに興味を持った前年にケニーは引退していた。昇り龍だったフレディ・スペンサーを下して勝ち得たチャンピオンのキング伝説は写真やビデオでしか見たことがない。―GPレースでは。
鈴鹿8時間耐久レースに復帰した2戦はこの目にしっかりと焼きついている。とてもブランクがあるライダーとは思えぬ鋭いコーナーワーク。まさに「シビレル!」の一言に尽きる。
チャンピオンバイクの1台、ケニー・ロバーツ選手のヤマハYZR500。今のMotoGPマシンに比べると軽量500㏄マシンなのに重たく見えてしまう。対してスポークやサス、タイヤは細いので、太い体に細い手足のジャイアント馬場さんのようだ(細いっても一般人よりも太いのだろうが)。それでも当時は世界最先端のマシンだったはず。数十年の技術革新を感じる。
ケニーのマシンというだけで凄みすら覚えてしまう、イエローとブラックのカラーリング。風防からエンジン部へ伸びるカウルなど“昔のマシン”という雰囲気。角張ったラインのボディエンド。―そこには自分が知らないヒーローへの憧れがある。

チーム監督になった時のケニー。ヤマハフェスティバルで
2006年05月06日
うそつきフレディー ホンダNS500

2輪レースに興味を持った頃のチャンピオンはフレディ・スペンサー。“キング”は引退直後だった。そのためか(?)圧倒的強さを誇っていたというイメージがある。
スペンサーのマシンホンダNS500は実際に見ることは無かったが、当時の全日本では500㏄クラスがあり、そのマシン(木下車、阿部車)は間近で目にした。
3気筒でチャンバー2本が後方排気。「残る1本ははどこにあるんだろう?」と探したらアームの下にフレームと同化して置かれていたる変わったレイアウトだった。
「チャンピオンバイク」付属のモデルはこの特徴を忠実に再現している。今見ると重そうに感じる車体だが、この世代を知っている者にとっては味のあるカッコイイマシンだ。
このシリーズのモデルは値段の割りにチェーンやスプロケットまでキレイに作り込まれているから嬉しい。リヤカウル内のチャンバーまでしっかり有る。
NSはホンダワークスカラーだが、次のNSRにはロスマンズのスポンサーカラーになっていた。

ロスマンズカラーのNSR500フレディー車
チャンピオン獲得後、ホンダの依頼で全日本のレース(世界GP終了後だったから最終戦かな?)に何年か連続してエントリーしていた。
「スペンサー参戦!」はレースの大きな話題であり、集客能力を持っていた。―のにかかわらず、彼はケガを理由に1度も予選すら走らなかった。
レースのTV解説をしていた元世界GP350㏄クラスチャンピオンの片山敬済氏は「バリー・シーンやケニー・ロバーツが築き上げたチャンピオンの威信を汚してますよ! うそつきフレディーですよ!!」と憤慨していたのを今でも覚えている。
私は運良く(?)練習走行日に彼の走りを見る事ができた。ピットでたたずむフレディーに勇気を出してサインをねだると気軽にサインしてくれ、有頂天になった良い思い出がある。初めて世界チャンピオンにサインをもらったのだ無理も無い。だから私にとってフレディーはやっぱり世界チャンピオンなのだ。


丁寧なスペンサーのサイン
2006年04月23日
日本育ちのチャンピオン W・ガードナー/NSR500

モリワキレーシングに呼ばれて日本にやって来たオーストラリア人ライダーは、当時最高クラスの500㏄とTTF1を席巻した。500㏄チャンピオン、ヤマハの平忠彦と各サーキットでの激しいバトルは注目の的。日本の2輪レースファンはワイン・ガードナーの名を胸に刻む事なる。
負け続けた平が最終戦でようやくガードナーに勝利した時は、かなりの興奮を覚えた。それほど巨大な存在になっていた。
当然のように世界GPの500㏄クラスにフル参戦。鈴鹿8時間耐久レースにも出場した。
'85年に徳野選手とのコンビで鈴鹿8耐初制覇。以後、連覇を含めて4勝の8耐マイスターとなる。
GPは'87年にチャンピオンを奪取。これだけ日本に馴染みのあるライダーである。王座に着いた時はまるで日本人がチャンプになったように日本のファンは喜んだ(と、思っている)。

富士スーパースプリントで
ガードナーのホンダNSR500は4気筒でロスマンズカラーが印象的。市販バイクのNSRもロスマンズカラーが最人気だった。
「チャンピオンバイク」でガードナーが発売されると知って書店に行ったが、既に完売。結局取り寄せとなり入手に時間がかかった。しかし、未だにガードナーを好きでいるファンが多いという事実に嬉しく思ったのだった。

左:8耐参戦時 右:JGTC参戦時太って少し額も…
2輪引退後は母国で4輪レースに参戦。その後、日本のGT選手権にも参戦した。NSRからトヨタスープラに乗り替えてもガードナーファンは多かった。
'00年以降のMotoGPマシンばかりになってしまった最近の「チャンピオンバイク」だが、是非8耐マシンや'80~'90年代マシンをもっと出して欲しいものである。350㏄クラスチャンプ片山敬済のマシンもね。

JGTCの時にもらったサイン
2006年04月03日
見た事は無くとも夢を託したRC211V

コレクションしているバイクモデルのほとんどは「隔週刊チャンピオンバイク」のものです。全車種そろえるのではなく、自分が夢中になった'80年代のマシンだけを集める予定でした。
しかし、第2号付属の加藤大治郎選手/ホンダRC211Vだけは別です。加藤選手がMotoGPで活躍した頃には私はもうレースを見に行っていなかったので、普通なら手元に置くことの無いマシンです。
サーキットには行かずともTVや雑誌等で加藤選手が二輪最高クラスMotoGPでチャンピオンを狙えるライダーだと報じられていたので、楽しみにていました。
優勝が期待された'03年日本GPのTV放送を見ました。MotoGPクラスで加藤選手が転倒事故を起こし、心臓が止まる思いでした。入院しても、きっとシーズン中には復帰してくれるだろうと願っていました。
十数日後に帰らぬ人となった事を報じる新聞を読んだときには「えッ!?」という信じられぬ驚きでした。
かつて片山が、平が成し得なかった最高クラスでの日本人世界チャンピオン。加藤選手にその夢を託していました。
加藤選手のホンダRC211Vは実際に目にしていないのですが、手元に置いておきたい1台なのです。
