2008年02月03日
クラッシュ!その瞬間 トムス83C

'83年WECnJAPANの終盤、トムス83C/トヨタが大クラッシュした―。
9番手走行中、メインストレートでリアタイヤがバーストした。突然の大爆音。とっさに聞こえた方にカメラを向けてシャターを切った。“当時は”ドルフィンも若かったから反射神経が良かった。モータードライブやオートフォーカスなど無く、手巻き、手合わせの連続写真だ。
このトムス83Cはレース中にフロントカウルを破損し、同じ型のマシンを使用する童夢のフロントカウルを借りて付けている。
「決定的瞬間を撮った!」「モーター誌主催のフォトコンテストで入賞できる!」と思っていたのだが『バーストの危険性』という誌の企画で写真が使用されたものの、入賞には至らなかった。
レース終了後、コース脇でトムス83Cの破損カウルを拾った。グラスファイバー製で長さ35㎝ほどの大きさだ。
レースは終盤にきていた事から赤旗終了。この日を象徴するアイテムとなった。

リアタイヤがバーストし、カウルが飛び散る

コントロールを失ったマシンはクラッシュして真っ二つに

折れたリア部がコクピット上に落ちる
ドライバーは大事に至らず脱出
2007年09月29日
'77年F1日本GPの公式プログラム

「雨が降ったらマシン性能差が縮まってドライバーの腕が勝負」―などと言われたのは一昔前の事。現在ではマシン差が広がりすぎて、良いマシンは雨でも性能を発揮するし、悪いマシンはなお乗りにくくなっているようだ。
'07年F1日本GP。地元GPも大撃沈された日本勢。冷たい雨も降って、観客は踏んだり蹴ったり状態ではないだろうか? 楽しめたのだろうか?
'77年F1日本GP当時は小遣いも少なくチケットこそ前売りを購入していたが、交通費と36枚撮り写真代をまかなうだけで精一杯(お昼はお弁当持参)。交通費すら往復“歩く”つもりだったのだから…。
元々'77年F1日本GP公式プログラムを購入する予算などない。しかも当時としては高額の1,000円!もしたのだから手が出せるはずもない。
それでも持っているのはラッキーな事に“拾った”のである。表紙は多少擦れている程度だが、背表紙の一部は敗れてしまっていた。
レース終了後にパドックに忍び込んでウロウロしていた際、知らないおじさんが「あの人ドライバーだからサインもらっておいた方がいいよ」と、教えてくれたお陰でV・ブランビラとA・リベイロからプログラムにサインを頂けた。
ビットリオ・ブランビラ―雨の魔術師と呼ばれたドライバー。
性能が極端に劣るサーティースで大雨の'76年F1inJAPANで一瞬トップに立ったり、同じく大雨の'75年オーストリアでは優勝を遂げていた。
そんな大暴れをしてくれるドライバーはもういないのだろうか?
30年前と同じ雨の富士スピードウェイ。時代が変わって格差も広がりすぎてしまった。

’77年日本GPチケットと本当の優勝者、J・ハント
アニメの日本GPで優勝したトドロキスペシャルT3
漫画の日本GPで優勝したケン・アカバの『赤いペガサス』14巻(初版本)
日本勢活躍祈願で集めてみました
2007年09月27日
ホンダF1が走ったあの日 FW09パーツ


富士スピードウェイの’77年F1日本GPを最後にグランプリ・サーカス(現在では死語?)は日本から遠ざかった。
日本でF1が開催されぬままホンダがGPに復帰。ますます「観たい」という気持ちが募った。
’84年の初頭だっただろうか、名門ウイリアムズにエンジン供給を発表したホンダが鈴鹿でマシンテストを行った。
当時のウイリアムズのドライバー、ケケ・ロズベルグとジャック・ラフィーが交代で来日、ウイリアムズFW09をドライブした。
現役ドライバーが現役マシンを走らせる―夢のような話だった。
冬の寒い中、公開テストに2日連続で観に行った。7年ぶりに生きたF1を見られる喜び。たった1台でも充分満足できた。興奮した。それだけ飢えていたのだろう。
ピットでマシン調整中に出たサイドポンツーンの破片をもらった。まだカーボンではなく、グラスファイバー製の時代。

コックピットに納まるラフィー
当日のドライバーは世界チャンピオンではなく同僚のJ・ラフィー。'79年にはリジェでチャンピオンまであと一歩と迫った名ドライバー。
F1ドライバーが鈴鹿パドックの古びたドライバーズサロンで昼食をとるなど今では考えられない状態に遭遇。サインを頂き、握手してもらった。
憧れの大F1ドライバーにサインを求める時は緊張したが、笑顔で気さくにサインに応じてくれた姿に、喜びも一層大きくなった。

'99年F1日本GPの際に頂いたサイン
あれから時は流れ毎年F1GPが開催されるようになった。場所はあの時の鈴鹿サーキット。
ドルフィンとしてはF1観戦最後となった'99年に、再びラフィーと会うことができた。
恐らくフランスTV局のリポーターとしてやってきたのだろう。TVクルーとともにグランドスタンド裏のサーキット図看板の前を歩いていたのだ。
驚きの発見をしたとともに「ラフィーがいるのに誰一人としてサインをもらおうとしない!?」事にも驚いてしまった。
周囲にこれだけ観客がいるのに誰も知らないの? 少々寂しい気がした。
今年、富士にもラフィーはやってくるのだろうか?
2007年09月20日
ガルフマクラーレンのピット・グローブ

マクラーレンF1GTRやポルシェ911GT1が参戦した'96年の鈴鹿1000キロレース。
ル・マンで優勝争いを演じた超GTマシン群の襲来とあって、夏の暑さのように熱気を帯びた鈴鹿サーキットだった。
かつてのスポーツカーレースを彷彿させるようなガルフ・カラーとなったマクラーレンの格好良さに惚れ込んでしまった。
レース終了後にピットを覗いていたら、片付け作業中のクルーが自らのグローブを外してプレゼントしてくれた。左手袋ではないので“決闘”を申し込まれた訳ではないだろう(笑)。
マシンをメンテナンスして汚れたグローブの甲には「Gulf」のロゴが入っている。硬い素材で出来ている。
鈴鹿1000キロをドライバーとともに戦ったガルフマクラーレンのピット・グローブ。1度洗濯してから大切に保存している。

JJレートがドライブしたガルフ・マクラーレンF1GTR
2007年08月31日
A・ナニーニのレストラン ベネトンB188

数年前、元F1ドライバーA・ナニーニのレストラン、「リストランテ・アレッサンドロ・ナニーニ」が地元・静岡にオープンした。先に東京や名古屋に出店していたが、次いで静岡とは驚いた。
チェーン店ではなく、名前は同じでも独立採算した別店舗らしい。
ナニーニのファンなのでどんなお店なのか興味に引かれてランチに行ってみたのだった。
オープンのキャンペーンで、予約ディナーした方に抽選でナニーニのベネトンB188がプレゼントされる―ということで、ミニチャンプスが飾られていたくらいで、レーシングな装飾は一切無いイタリアン・リストランテだった。

前菜盛り合わせ 地元の食材を巧に使った良いコースだった
「何かナニーニアイテムが欲しい!」と言う事で、お店のロゴ入りエスプレッソコーヒー豆の缶を購入した。
エスプレッソドリッパーは無いので、普通にドリップしたが香りが良くて美味しかった。

ロゴ入りエスプレッソ用コーヒー豆の缶
ちなみに―
昔、知り合いがイタリアからナニーニの実家であるナニーニ製菓のお菓子を買ってきてくれた。
トリュフ(キノコ)のような黒っぽいダンゴ状のカリカリッとした菓子だったが、甘ったるいだけでても1個食べ切れなかった…。日本人には合わないのかも。
2007年06月04日
マーチ792のFウイング

子供の頃、レースの無い日に富士スピードウェイへ遊びに行った。その時、大御神レース村にあるガレージでジャンクの山から見つけて頂戴した(許可済み)のがF2・マーチ792のフロントウイングだ。
ウイングカーであるためダウンフォースが強く、JAF鈴鹿GPの際には外される事もあった。ミニチャンプスのモデルカーでもウイング無し仕様があるほど。
入手したウイングは、F1やカウンタックで馴染みがあったウォルターウルフ・レーシング・ジャパン・マーチのもの。濃紺と金で塗装されている。
当時のウルフ・ジャパンは毎戦違う外国人ドライバーを乗せていたので、誰が使用したものかは不明。ただ、ウイング底部に擦り傷がある。
アルミ製で内部は空洞。ウイング内側にシャシーに接続する支柱用の穴が開いている。
レーシングカーのパーツを初めて入手した記念すべきアイテムである。ミニカーと一緒に飾りたいと思っている。
2007年03月04日
3年目の決断 ベネトンヌイグルミ

100㌢もある巨大ヌイグルミである。クレーンゲームで獲れる小さなものと一緒にされては困る―。
ベネトンマシン(B188っぽい)を模した巨大ヌイグルミを見つけたのは、F1日本GPの時である。予選の後、言わばアフター・クォリファイに夕食を取ろうと、駐車場から行きつけの喫茶店まで歩きながらグッズ・ショップ巡りをしていた。2輪のモリワキ・エンジニアリングの駐車場に出ていた仮設ショップで目がランと輝いた。元ベネトンF1のメカニックでモータースポーツ・ジャーナリスト津川哲夫氏の店だったのだ。
雑誌で拝見していた独特のタッチを持った津川氏のイラストアイテムやベネトン系グッズが置かれていたので、ベネファンのドルフィンにとっては堪えられない夢のエリアだ。
今まで見たこともない1㍍もの巨大F1ヌイグルミは嫌がおうにも目に入る。なんて魅惑的な商品だろう。部屋に飾りたい。レースの時、車に載せておきたい―。欲望がふつふつと湧きあがる。が、価格を見た瞬間に熱き欲望も凍りついた。大きさが大きさだけに値もそれなりに張るのだ。1大イベントに来ているのだ持ち合わせが無い訳ではないが、後にかかる写真の現像&プリント代を考えると控えておきたいというもの。已む無く断念した。
悔しさも思い出となった1年後。お馴染みのルートで喫茶店へ向かうと、またも津川ショップが展開されていた。毎年同じ場所に出店しているようだ。灯りに集まる蝶のようにフラフラと引き寄せられていった。
そこにはまたも巨大F1ヌイグルミが販売されていたのだ! まだ在庫が残っていたか。1年経とうが安くなっていない。 同じベネトンでもアパレル商品では考えられない据え置き価格だ。またも欲望が湧きあがる。せめて値引き価格にでもなってくれていたならば…。「行きましょ」と夕食に急く友人の言葉をきっかけにして自分を律する事に成功した。
さらに1年が過ぎた。「今年はもう無いだろう」と思って津川ショップに足を踏み入れると、お局様か主か―という感じで巨大F1ヌイグルミは鎮座していた。店のスタッフが言うには「在庫もこれが最後」なのだと。ラストを飾るかのように津川氏のサインが入れられていた。この付加価値で心が決まった。縁があったのだ。巨大F1ヌイグルミは我が家に来る事になったのだ。
友人曰く「3年越しの買い物ですねぇ」と。
大きな透明ビニール袋に入れて飾っている。観戦が最後になった'99年の日本GPまで車に積んで“里帰り”させてきた。
今はミニカーラックが出来たらその前に置いてやろうと思っている。
2007年01月20日
ワインレッドのフェラーリ

「ワインレッドのフェラーリ」と言っても車の色ではない。正真正銘の赤ワインである。ボトルのフェラーリ・エンブレムは印刷ラベルではない。ワインボトルがエンボス(凹凸)になっていて、そこに塗装されているものなのだ。
頂きもので、それ以前の保管状態も分からず、ドルフィンもワイン保管ケースなど持っていないので、あくまでも部屋の飾りとして飲まずに置いてある。
ワインの入手には面白い経緯がある。
富士スピードウェイにフォーミュラ・ニッポンのテストを観に行っていた時の事、JGTCのGT300クラスに参戦しているプライベート・ドライバーがレイナードのマシンテストを行っていた。後日、撮った写真にサインを入れてもらおうとしたところ、そのドライバーがいたく写真を気に入ってくれた。そこでパネルにしてプレゼントしたところ、お礼に届いたのがフェラーリ・ワインだった。「レース時にパドックご招待になるかな?」―なんて下心があったあのは事実。しかし、当時は平日休みだったので招待されても無駄に終わっていたので、返って良かったかもしれない。
市販されているかどうかは不明。もしかしたらフェラーリのオーナーだけが購入できる限定品かもしれない。ミニカーラックができた暁にはフェラーリのミニカーと一緒に飾りたいと思っている。

2006年10月30日
ジョニーの子守唄 ベネトンB188翼端版
迷惑トラックバック対策のため再掲載

F1マシンの中でも一際美しいマシン「ベネトンB188はジョニー・ハーバートのイメージがある」と『ベネトンB188モデル』の項で書いた。
国際F3000からステップアップしていきなり4位に入ったジョニーの、若くてキザなイメージと、上昇気流にあるチーム、派手で美しいバランスのマシン。全てが一体となった感じがした。
そのジョニーがドライブしたB188のフロントウイング翼端版を入手した。
*翼端版はウイングの外端に付いて空気の流れを決める板の事。
入手と言っても「ガレージでもらった」とか「知人から譲り受けた」等ではなく、ショップから購入したのだ。こんなジャンク・パーツを大金を払ってまで欲しがるとは、ファンの心理は興味無い方には理解しがたいものだろう。
しかし、ジョニーがこのマシンをドライブした期間は短い。シリーズ序盤でクラッシュに巻き込まれて戦列を去ったからだ。もちろん日本GPにも来ていない。それだけに貴重なものだと感じたからだ。
幅広いフロントウイングが特徴のマシンだけあって翼端版も長い。カーボンファイバー製で軽い。
できればジョニー本人にサインを入れてもらいたかったが、入手時期は彼が全日本F3000からF1に戻った後だったので出来なかった。全日本で(リハビリとして)走っていた頃もあまりパドックで見かけなかったなぁ。今でもA・ナニーニ同様好きなドライバーの一人なので会いたいなぁ。おぉぉジョニーどこにいるのか♪

鈴鹿サーキット前のショップに展示されていたB188ナニーニ車
ハーバート車は本当に貴重な存在なのだ(1台はクラッシュでツブレているし)

F1マシンの中でも一際美しいマシン「ベネトンB188はジョニー・ハーバートのイメージがある」と『ベネトンB188モデル』の項で書いた。
国際F3000からステップアップしていきなり4位に入ったジョニーの、若くてキザなイメージと、上昇気流にあるチーム、派手で美しいバランスのマシン。全てが一体となった感じがした。
そのジョニーがドライブしたB188のフロントウイング翼端版を入手した。
*翼端版はウイングの外端に付いて空気の流れを決める板の事。
入手と言っても「ガレージでもらった」とか「知人から譲り受けた」等ではなく、ショップから購入したのだ。こんなジャンク・パーツを大金を払ってまで欲しがるとは、ファンの心理は興味無い方には理解しがたいものだろう。
しかし、ジョニーがこのマシンをドライブした期間は短い。シリーズ序盤でクラッシュに巻き込まれて戦列を去ったからだ。もちろん日本GPにも来ていない。それだけに貴重なものだと感じたからだ。
幅広いフロントウイングが特徴のマシンだけあって翼端版も長い。カーボンファイバー製で軽い。
できればジョニー本人にサインを入れてもらいたかったが、入手時期は彼が全日本F3000からF1に戻った後だったので出来なかった。全日本で(リハビリとして)走っていた頃もあまりパドックで見かけなかったなぁ。今でもA・ナニーニ同様好きなドライバーの一人なので会いたいなぁ。おぉぉジョニーどこにいるのか♪

鈴鹿サーキット前のショップに展示されていたB188ナニーニ車
ハーバート車は本当に貴重な存在なのだ(1台はクラッシュでツブレているし)
2006年09月23日
行くべきか行かざるべきか… ベネトンジャケット

F1日本GPが近づいてきた。ここ数年は行く気もしなかったが今年は違う。全日本F3000デビューから見て応援してきたマイケル・シューのラストランであり、鈴鹿での日本GP開催が最後になるからだ。
今でこそフェラーリの顔として君臨しているマイケルだが、初チャンプを獲ったのはベネトンであり、ベネトンに初タイトルをもたらしたのは彼なのだ。ベネトンファンのドルフィンとしてはマイケルを応援していた時期は長い。
アパレルメーカーとしてのベネトンが88年頃の暮れに発売したブルゾンが写真のもの。当時のレーシングスーツの半レプリカだ。今でこそスポンサーワッペンまでそろえたレプリカジャケットは珍しくないが、当時としては「おぉッ!これはイイ!!」と感嘆の声をあげてしまうくらいのものだった(個人比)。
色はグリーン・ブルー・ブラックの三種。ベネトンカラーのグリーンはベタ過ぎなのでブルーにした。
新製品カタログを見て予約注文した。88年暮れの発売だった為、2度の日本GPを逃してしまった。初めて着て観戦に行ったのは89年から。そう、ベネトンを駆るナニーニが初優勝した記念のGPだった。
以来“ゲン担ぎ”で毎年来て観戦に出かけている(普段にも着ていたが)。初年度は同じブルゾンを着ていた人は多かったが、年を追う毎に激減し、より緻密なレプリカを着ている人が増えていった。それでも日本GPにはこのブルゾンで観戦に行っていたので、鈴鹿でしか会わない知り合いが見つけて声をかけてくれたりもした。しかし今ではヨレヨレになりすっかりくたびれてしまっている。
ベネトンがF1から撤退しようとも、また観戦に行く機会があればこのジャケットを着て-と思っているが、今年、着る事にするかどうか、まだ決心がついていない。
2006年08月18日
マーティー未来へ戻るんだ! デロリアンB.T.T.F.Ⅱ

先が読めないハラハラドキドキの展開。冒頭から伏線張りまくり、何度見ても新たな発見がある。ドルフィンが一番好きな冒険活劇映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(以下B.T.T.F.)。
劇中に登場するタイムマシンを搭載した車がデロリアンだ。ウエッジタイプでアルミ剥き出しのシルバーボディが未来感を出していた。
公開当時は本当にある車なのか、映画の大道具なのか分からないほど、物語にマッチした車体だった。数年後に「PARTⅡ」&「Ⅲ」が連続公開された時にはリア部に大きな機械が装着されたのだが…。
渋谷の東急本店近くで実際に走っているデロリアンを何度か目撃した。静岡駅前にあるオモチャ屋さんにはコックピットから後ろが“無い”、前だけの車体が展示されている。

もうちょっとポールの位置を考えてもらいたい…
1/43スケールまでのモデルなら現在も店頭に置かれているのを見るが、キャラウィールから出ていたような1/64くらいの小さなモデルは見つからない。
1週間前に映画のテーマパークに行った際に見つけたのが、ダイキャスト製ライターだ。サイズも手頃。作りも細かいのでGETした。ボンネットから先が開いてライターになる。タイヤも一体成型なので動かない。

ウィンドウを外して取り付けられた廃棄物を動力源に転換する機械
雨ざらしになっているのがもったいないなぁ
『B.T.T.F.』は一番好きな映画なので、テーマパークに行った時も「デロリアンとドクに会う」事が最優先事項だった。もちろんドクは本物じゃないんだけど、会えて嬉しかった~!

車内も劇中同様の作りに
実車の写真も映画のテーマパークで撮影
2006年07月26日
スカートをつまんでヒョイと持ち上げる アルファ155

黒のカーボン地に白字で統一されてズラリと並ぶスポンサーロゴ。統制が取れていてカッコイイDTM/ITCのアルファロメオ155のサイドスカート。ボディがどんなスポンサーカラーになろうとも変わらない、全車共通部分だ。
'96ITC鈴鹿のレース終了後、パドックでこのサイドスカートをもらった。チーロズシャツを着ていたのが功を奏したのだろうか? 元フェラーリF1ドライバー、N・ラリーニ車のもの。レース車から外したばかり。接触のタイヤ痕も生々しい。
鈴鹿を最後に無くなってしまうカテゴリーとは言え、ポンとプレゼントしてくれるパーツに一体いくら費用がかかっているのだろうか。
前後ホイールの間に伸びるサイドスカート。カーボンファイバーで凹凸(おうとつ)が成形されている。さらに下方は内外に可動できるよう"つなぎ"部分に柔らかいケブラーだけが板状になっている。その軽さたるや、二本の指でヒョイとつまんで持ち上げられるほど。
ミニカーと違い、長くてがさばるガラクタだが、狭い部屋の中で自己主張している。
2006年06月04日
一緒に世界を回ったチーロズシャツ

レースも最終戦となると不要になるアイテムを売買に出すスタッフがいる。'96年ITCはシリーズそのものがなくなってしまう。そのラストバトルが鈴鹿で行われた。チーム側にしてみれば使い回しがきく機材以外は全てが不要になるというもの。予選初日、スタンド裏の広場に“日本円”稼ぎに2名のクルーが雑貨を売りに来ていた。
クルーが着ていたチームシャツやTシャツ等を日本円で売っている。同じシャツが近くのグッズ販売のブースでも売っているのだが、USEDだけあって少し安くなっている。きっと日本のジャーナリストか関係者に相場を聞いたのかもしれない。
ドルフィンは「きっとどこかのチームが雑貨を売りに来るだろう」と見込んで予め予算を取っておいた。ITCの中でも好きなチームの一つ、元F1チャンプのケケ・ロズベルグがオーナーのチームロズベルグが来ていたので嬉しかった。
どうせ同じ品なら新品よりも“チームと一緒に世界で戦ってきた”シャツが欲しかった。たとえ外国人特有の体臭が付いていたとしても。
買う時の値引き交渉は当たり前。「これ以上はNO!」となったら次は「ステッカー付けて」「J.J(レート)のサインもらって来て」と、外国語が全くダメなドルフィンは魂で会話して交渉。サインは当日もらえなかったから送ってもらうことに。こうなった段階でサインはあきらめたのだが。ステッカーは翌日手渡してもらった。

予選2日目からスタッフシャツを着て観戦。ピットウォークもピット前でスタッフと一緒に写真を撮ってチームの一員気取り。シャツ効果を充分満喫できた。
幸運な事に、興奮のレース終了後、パドックに行くとJ.J.にバッタリ遭遇。ここぞとばかりにペンを取り出してサインを入れてもらった。ラッキー♪
もちろんシャツは帰ってから1度洗濯した。外国人の体臭ってキツいからね…。

レースも思い出となった1ヶ月後、ドイツからエアメールが届いた。中にはJ.J.とH・スタックの直筆サイン入りポートレートが入っていた! 「売ってしまえばこっちのもの」ではなく、ちゃんと約束を守ってくれたのだ。この律儀な行為に感謝せずに入られなかった。

