2006年12月09日
執念の「21」 TEAM茶LLENGERヤマハYZF

ヘンテコなマシン名のTEAM茶LLENGER ヤマハYZF-R1は静岡県浜松のヤマハ系会社の社内チーム。「挑戦者」のチャレンジャーに静岡名産の「お茶」をかけたシュールなシャレなのだ。テスト走行段階から静岡県内のTVで活動が報道されている。元全日本500ccライダー藤原儀彦選手が参加しているのもポイント高い。
京商のサークルKサンクス限定'85鈴鹿8耐モデルの1台、茶LLENGERヤマハYZFは他のマシンと比べるとマフラーの付け根付近に金属のプレート式支柱っぽいものがある。実車を見た事が無いので、これが何なのかは不明。レーサー全体がオレンジ(お茶のグリーンではなく?)と黒で統一されている。
ヤマハ+○彦と来たら―
「強引に鈴鹿8耐の思い出⑥」

’85年にキング・ケニーとのコンビで鈴鹿8耐に初参戦した平忠彦選手。ケニーの参戦は翌年までだったが、平選手は「優勝するまで」と連続参戦した。そう、毎年、優勝に近づきながらもアクシデント等で希望の結果を残せていなかった。
’90年のヤマハは“奥の手”である現役WGP500ccチャンピオンのエディ・ローソンを平と組ませた。8耐からWGPにステップアップしたガードナーやシュワンツと違って、日本のレースには縁が無かったエディの参戦は話題の的だった(ケニーほどではなかったが)。この頃の8耐はWGPライダー参戦のピークではなかっただろうか。面白い時代だったな。
リタイアがお約束のようになっていた平だが、8耐優勝への執念と耐久でも安定した速さのエディのコンビは8時間のレースをトップでゴールした。ドルフィンはヤマハファンではなかったが「対にやった!」という思いで力いっぱいの拍手を贈った。
そういえば終了したチャンピオンバイクでは皮肉にもエデイと平、両人のモデルは登場しなかった。メーカーを替えてチャンピオンを獲ったエディや全日本チャンプの平のYZR、GP250で優勝したレーサー等、人気材料はあったのに。残念だな。
2006年12月09日
キングと王者の21 YSP&PRESTヤマハYZF
間違って削除してしまったので、書き直し掲載です
'05年鈴鹿8時間耐久レースのバイク=レーサーをモデル化した、サークルKサンクス限定の京商シリーズ。YSP&PRESTレーシングのヤマハYZF-R1。後方2本出しのマフラーはかつてのGPマシンYZR500を彷彿させられる。ただ、モデルではこのマフラーが“筒状”になっていないのが残念。後方から見さえしなけば重厚間溢れる作りになっているから素晴らしいのだが。マシンカラーに合わせた赤いホイールがアクセントになっている。
'05年鈴鹿8耐は見ていないので、実車との比較ができない。しかし、ヤマハのゼッケン「21」となったら“あのマシン”を語らずにはいられない。
-という訳で
「強引に鈴鹿8耐の思い出②」

ヤマハは'85年の8耐に超大物を起用した。引退したWGPチャンピオンのケニー・ロバーツと全日本500cc王者を欲しいままにしていた平忠彦のコンビだ。
雑誌で「出場予定」と情報が掲載された“だけ”でもう二輪ファンはアツイ夏が待ち遠しくなった。WGPが日本で開催されていなかったので、日本のファンがケニーの走りを直に見るのはこれが初めてになるからだ。
観客動員増加に貢献した注目のコンビ。予選での走りは今でも目に焼きついて離れない。GPレーサーと異なる4スト750ccにおFZRを難なく操るケニー。現役の誰もが追いつけなかった。「キング」と呼ばれた男の走りに観客は心底震え熱狂した。もうメーカー別ファンなど関係なかった。
彼らのレーサーのゼッケン「21」はスポンサーの男性化粧品ブランド名にちなんだもの。もちろんミーハーなドルフィンも愛用していた。
決勝レースのル・マン式スタートでは、第二ライダーの平選手がポロシャツにサンダルばきという不謹慎な服装(通常はレーシングツナギ)でマシンを支えるという波乱を予感させる始まり。
キングと王者のコンビは予想どおりトップ独走。誰もが初出場&初優勝をかっさらうと信じていた。ラスト30分前、ゴールラインを過ぎて平選手がマシンを止めた。この時は「余裕の演出?」と思ったほどだ。そのままリタイアし、あっけない終幕だった。しかし、この年の8耐は観た者の心に残るレースだった。

'05年鈴鹿8時間耐久レースのバイク=レーサーをモデル化した、サークルKサンクス限定の京商シリーズ。YSP&PRESTレーシングのヤマハYZF-R1。後方2本出しのマフラーはかつてのGPマシンYZR500を彷彿させられる。ただ、モデルではこのマフラーが“筒状”になっていないのが残念。後方から見さえしなけば重厚間溢れる作りになっているから素晴らしいのだが。マシンカラーに合わせた赤いホイールがアクセントになっている。
'05年鈴鹿8耐は見ていないので、実車との比較ができない。しかし、ヤマハのゼッケン「21」となったら“あのマシン”を語らずにはいられない。
-という訳で
「強引に鈴鹿8耐の思い出②」

ヤマハは'85年の8耐に超大物を起用した。引退したWGPチャンピオンのケニー・ロバーツと全日本500cc王者を欲しいままにしていた平忠彦のコンビだ。
雑誌で「出場予定」と情報が掲載された“だけ”でもう二輪ファンはアツイ夏が待ち遠しくなった。WGPが日本で開催されていなかったので、日本のファンがケニーの走りを直に見るのはこれが初めてになるからだ。
観客動員増加に貢献した注目のコンビ。予選での走りは今でも目に焼きついて離れない。GPレーサーと異なる4スト750ccにおFZRを難なく操るケニー。現役の誰もが追いつけなかった。「キング」と呼ばれた男の走りに観客は心底震え熱狂した。もうメーカー別ファンなど関係なかった。
彼らのレーサーのゼッケン「21」はスポンサーの男性化粧品ブランド名にちなんだもの。もちろんミーハーなドルフィンも愛用していた。
決勝レースのル・マン式スタートでは、第二ライダーの平選手がポロシャツにサンダルばきという不謹慎な服装(通常はレーシングツナギ)でマシンを支えるという波乱を予感させる始まり。
キングと王者のコンビは予想どおりトップ独走。誰もが初出場&初優勝をかっさらうと信じていた。ラスト30分前、ゴールラインを過ぎて平選手がマシンを止めた。この時は「余裕の演出?」と思ったほどだ。そのままリタイアし、あっけない終幕だった。しかし、この年の8耐は観た者の心に残るレースだった。
