2006年06月28日
謎に包まれた デ・トマソ・パンテーラGTS

たまにのぞくとトミカのMシリーズ(ミュージアム)等マニアックな品揃え をしてくれていた近所の大手スーパーIY。とても気に入っていた売り場だったのだが、引越しをしてしまい、もう行けなくなってしまった。とても残念だ。
まだPC接続可能環境にないので、ブログもなかなか書けない。今日はホビダスの管理ページに接続できるネットカフェをようやく見つけ、そこから書いている。決してミニカーのストックが無くなったのではない(言い訳)。
IYに置いてあったMシリーズでも最初に見つけたのがデ・トマソ・パンテーラGTSだった。スーパーカーブーム時にリリースされていたのだから息が長い。しかも、BIGネームであるフェラーリやポルシェ、ランボルギーニではなく、デ・トマソを選んでいるのはナゼなのだろうか?
パンテーラGTSはオーバーフェンダーやリアウイング等を装着し、エンジンもハイ・チューンされている半レース使用車。それだけに最高速度も315㌔に達するらしい。当時としては512BBやカウンタックよりも速かった(データ数字上)。しかし、イマイチ子供ウケしなかったチョッピリ可愛そうなマシンでもある。
トミカのパンテーラはリヤのハッチが少しだけ開く-という訳の分からないギミックが施されている。外れる訳でもなく、ほんの少しだけ上にズレるだけなのだ。これには何の意味があるのだろう? もしやまだドルフィンには理解できていない驚くような変形(ロボットになることは無いと断言できるが)が用意されているのかもしれない。まだ謎が多いトミカだ。

晴海のショーで
赤/黒のカラーリングはカッコイイなぁ
2006年06月16日
ファイナル・ビューティー ベネトンB195/シューマイケル

マシンボディに“ハケ”でペイントしたようなカラーリングのベネトンB186に心を奪われベネトン・ファンになった。その後、美しいマシンを発表し続けたベネトンだが、「綺麗だ」と思えるカラーリングのマシンはB195で最後になった。キャメルイエロー中心の時もパッとしなかったけどね。
ブルーのスポンサーカラー中心であるものの、リヤに大きく描かれたファイヤーマークと、サイドポンツーンのイエローがアクセントになっている。この部分がグリーンのベネトンロゴだと地味になってしまうから不思議だ。
シューマイケルのB194~195は思い出のマシンでもある。
'94年のシューマイケルはプロスト、セナという偉大な先人に習い“ぶつけて”チャンピオンを採った年。それでも雨の日本GPは激しいクラッシュ続出の中、ヒルと好勝負を演じ、記憶に残る見応えのあるレースだった。
'95年はTI、鈴鹿の日本2連戦で、観戦に行ったドルフィンも9日間で7日もサーキットにいたというとんでもない生活を送った。よく会社をクビにならなかったものだと、寛大なる処置に感謝しなくてはならない年になった。 TIでチャンプを決めてスタンドからピットから「シューマッハ!」コールが湧いた時には鳥肌が立った。

TIサーキットではマシンを近くに感じることができた
ミニチャンプのナンバーであるベネトンB195は現在では在庫が無い貴重品。そのためオークションでの入手になった。このマシンを美しいと思うっている方が多いようで、シューマイケルのマシンの中でも人気車種になっている。スポンサーロゴがより精巧な綺麗なモノほど高額落札になっていて、なかなか落札できなかった。
希望のカラーリングになっているB194/195を入手でき、これで好きなベネトン(モデルが出ている車種)が全てそろった。
ドルフィンはタバコ嫌いなので、タバコ会社のロゴが入っていなくても一向に構わない。配色が大事なのだ。近年ルノーのようにゴチャゴチャする事無く、天の川のように流れる色(カラー)。ゼッケンNoの「1」はカラーバランスを崩さない最小の数字でしかない。
生粋のフェラーリ育ちかのように赤が似合っているシューマイケルだが、ドルフィンの中ではミスター・ベネトンの1人である。

後姿も美し~いッ
ドルフィンの写真の中でもとても非常~に良く撮れた2枚
2006年06月14日
そこまでやるか!? ルノーA442B

ピットレーンにずらりと並んだイエローのマシン軍団。ル・マン24時間耐久レースに必勝を期す為に物量作戦に出たルノー。モータースポーツに興味を持ち始めた頃に、雑誌で見た写真がそれだ。
ル・マン挑戦5年目の78年。地元優勝が欲しかったのだろうが「そこまでやるか!?」という驚きとも呆れるともつかない感情が湧いた。同時にル・マン優勝の重みが伝わってきた。
アルピーヌ・ルノーA442Bは勝利以外許されないマシンだった。
コンビニでペットドリングに付いてくるダイキャストミニカー「歴代ルノー レーシング スピリッッツ コレクション」。1/100という小さいサイズのせいかあまり出来が良くない。全5種のラインナップなのだが、欲しいのは2種程度。その中でもスポンサーロゴが入ったり、入り組んだ空力デザインになるレーシングカーのA442Bはパッと見てもキビシイものがある。
それでも入手してしまったのは、この車のモデルカーが無い(?)事と、先に語った大量導入のインパクトが子供心に刻み込まれていたからだと思う。

79年の全日本ロングディスタンス・シリーズで走っていたルノー
御殿場のレーシングパレスでの展示車。ル・マン優勝車と同一型車かは自信がないなー
2006年06月13日
ターボ時代の魁、スカイライン・ジャパン・ターボ

ターボエンジン車なんて外国車か漫画の中(「狼」)の事と思っていた時代。「ついに国産スポーツカーに装備」のニュースに心躍った。今では軽自動車にも付いているターボチャージャーだが、その頃には超兵器的なもの凄いシステムっぽく感じていた。捨ててしまっていた排気ガスを利用して爆発的にパワーを増すのだから。
スカイライン2000GT・ジャパン・ターボ。スカイラン+ターボの組み合わせは、マジンガーZ+ジェットスクランダーに匹敵する“無敵”のイメージを感じた。もうスーパーカーでさえも太刀打ちできないような(実際はそれほどでも無かったのだが)。
雑誌等を見て「え!? たったそれだけしか出ないの?」と現実を叩き付けられたものの、やはり刻まれたイメージは大きなもので、本当に速かったが過去のものであったハコスカよりも好きな車である。
リアルXのスカイラインシリーズのひとつ。シークレットながらどれが出てもOKと言えるほどの良いラインナップ。ただし、重ならなければの話。都合良く購入数だけ別車種が出るはずも無く。1コ目は「ヤッタ!! ジャパンだ!」と大喜びしていたものの、2つも出てしまうと「あぁ、ここで止めておけばよかった~」と悔恨してしまうのである。
このシリーズのジャパン・ターボは4ドアタイプ。スポーツ的な実車のイメージから、てっきり2ドアしか無いものかと思っていたので「4ドアもあったの?」と驚きがあった。
シルバーの塗装にウエッヂタイプのボディライン。「GT」の下に「TURBO」と入るエンブレムが誇らしい。カッコイイなぁ。
2006年06月11日
キングの伝説/ケニー・ロバーツ YZR500

バイクで峠を攻める時、ハングオンしてコーナーギリギリ詰めて走ると気持ちいいよね(オートバイは安全に楽しく乗りましょう!)。でも、数十年前までオートバイって体とマシンが一緒に倒し込む走り方だったらしい。このハングオンを始めたのがケニー・ロバーツだと聞いたことがある(本当?)。
私が2輪モータースポーツに興味を持った前年にケニーは引退していた。昇り龍だったフレディ・スペンサーを下して勝ち得たチャンピオンのキング伝説は写真やビデオでしか見たことがない。―GPレースでは。
鈴鹿8時間耐久レースに復帰した2戦はこの目にしっかりと焼きついている。とてもブランクがあるライダーとは思えぬ鋭いコーナーワーク。まさに「シビレル!」の一言に尽きる。
チャンピオンバイクの1台、ケニー・ロバーツ選手のヤマハYZR500。今のMotoGPマシンに比べると軽量500㏄マシンなのに重たく見えてしまう。対してスポークやサス、タイヤは細いので、太い体に細い手足のジャイアント馬場さんのようだ(細いっても一般人よりも太いのだろうが)。それでも当時は世界最先端のマシンだったはず。数十年の技術革新を感じる。
ケニーのマシンというだけで凄みすら覚えてしまう、イエローとブラックのカラーリング。風防からエンジン部へ伸びるカウルなど“昔のマシン”という雰囲気。角張ったラインのボディエンド。―そこには自分が知らないヒーローへの憧れがある。

チーム監督になった時のケニー。ヤマハフェスティバルで
2006年06月10日
愛は太る? ケンメリGTR

今でも「あぁ~いのぉ~スカァ~イッラインッ♪」という歌のCMを聞いた事を覚えている。「ケンとメリー、愛のスカイライン」がフレーズだったと記憶がある。あまりに子供の頃でスカイラインだろうが、ケンとメリーがラブラブだろうがあまり関係無く、単にCMを覚えていただけだった。
「狼」以降にスカイラインGTRがレースで活躍した凄いマシンで、市販車は貴重だと分かったくらいだ。
2代目GTR:通称ケンメリRは、初代GTRが持つ“減量ボクサーのような凄みのある軽量感”とは全く異なり、結婚直後に嫁はんの手料理が美味しくて“幸せ太り”したような鈍重さを感じてしまう。「愛のスカイライン」は「愛」によって幸せ太りしてしまった「スカイライン」だった。
若かりし国サンがケンメリRの横に立つポスター等を見るが、レース仕様であろうが重っぽさは同じだ。
リアルXのスカイラインヒストリーの一つ、ケンメリR。国サンのレース仕様にも似た濃紺のカラー(ゴールドのラインは無い)。シークレットBOXに入っているシリーズ第一弾は、存在を知らず購入できなかったため、コンビニでZとペアで中身が見えるパッケージで発売されているものを発見して入手した。パッケージ代分(それだけ?)少々シークレットモノよりも単価が高いのだが、中身が確実なので安心して買えるのが便利な点だ。
車高が高く見えてしまうようなフォルム。跡付けオーバーフェンダーやリヤスポイラーも再現。だが「リアル」と銘打ちながらもフェンダーミラーが無い。そのお陰でややスッキリとしたラインになっている。それでも「R」の響きのお陰で憎めない存在になっている。

2006年06月08日
スパイが乗るロータス・エスプリ

潜水艦にもなるスーパーカーと言えばロータス・エスプリ。これは「007」映画内での事なのだが。劇中ではリアルに潜水艦モデルを使用していた。
しかし、実際にそれが可能であるかのようなシャープでスポーティーなデザイン。ボディの両サイドは先端から後尾まで角出していて、ランボルギーニやフェラーリとは違ったウエッヂタイプは登場時にはとても新鮮だった。しかも大排気量車ではないところに軽やかさを感じる。
映画の影響か、エスプリは白が似合う印象があるが、トミカMシリーズの一つは赤い塗装。つい「何か違うな~」と思ってしまう。もう一つの要因はボディサイドの角出の再現がゆるいから違う車に見えてしまうのかもしれない。
このMシリーズも近所のIYおもちゃ売り場で見つけたものだ。未だに売られている車種があるんだなぁ。
トミカ車体の下に出っ張りのスイッチが有り、スイッチでリトラクタブルライトが手動開閉するギミックが施されている。あまり無くても良い気がするが、他のモデルには見られない点が特徴だ。

初めて実車を見たのは'77年のF1日本GPの時
FISCOの草生えた野っ原駐車場で
2006年06月06日
衝撃のマシンX

ハードアクション刑事ドラマ「西部警察」に初めて登場したスーパーマシン、それがマシンX(エックス)だ。当時はまだ珍しかったターボ装備車、スカイライン・ジャパンがベースというだけでも“走りを期待する”のだが、さらに助手席部分いっぱいにコンピュータを搭載し、ボンドカーさながらの特殊装備を持っている。さすがにミサイルまでは無いが。
今内装を見ると、1号マシンだけあってかなり雑な作りになっている。通常は車内に隠されているが、有事の際に窓から外に出すサーチライト付きスチルカメラの取り付け支柱は、ただドアに打ち付けただけ。
コンピュータの文字入力は携帯電話並みだが、画面が白黒なだけ劣るかもしれない。画面も小さく、運転しながら見るには少々危険だ。
そんな武骨さがカッコイイのだ。「ボボン…」と太く響くエグゾースト(―の効果音)。「ファンファン」ではなく「パーポーパーポー」のパト音も特別車両感を出していた。
アオシマからディスプレイモデルが出ていたと知ったのは、友人から借りた古い雑誌でだった。RS1~3とスーパーZ、ガゼールや黒パトの存在は知っていたのだが、まさかマシンXまで出ていたとは…。だが、現在在庫がある店など無いだろうと端(はな)から入手を諦めていた。
だが、ネット検索していたところ、偶然にも通販の在庫がある店に当たった。「未だに売っているなんて!」。それまでのRS1~3以上に驚いた。悩んでいる暇は無い。速攻GETだゼ!
漆黒のボディに金のストライプ&ホイールがシブイ。普通車と違うフロントグリルの2ツ穴。これはレーダー波の送受信用。ボンネットのNACAダクトやキャップもしっかり再現。窓が閉まっているのにライト&カメラが取り付けられているサービス。
劇中、初期のパトライトは覆面パト同様に室内から手でルーフに取り付けていたが、途中から室内据え置きに変わった。モデルカーは初期のルーフ仕様になっている。「西部警察シリーズ」の中ではかなり作りこまれているモデルだと思う。
スーパーマシンが登場した時のワクワク感が甦る1台。リュウやリキがドアを開けて下りてきそうだ。
2006年06月05日
がんばれ!地元企業マシン HKSスカイラインGTR

サーキットで美しいカラーリングが一際目立つGr.Aマシン、HKSスカイライン。他のマシンと趣を異にしているのはカラーだけではない。GTRのエンジンはニッサンが全チーム一喝メンテナンスしているのだが、HKSだけはチューンパーツメーカーだけあって独自チューンなのだ。
HKSはドルフィンの地元にある企業。応援も熱が入るというもの。Gr.A最終年である'93シリーズも第3戦SUGOでは羽根幸浩選手と萩原修選手のコンビでポール・トゥ・ウインを果たした。
トミカ・リミテッドスカイライン伝説でも最大の特徴であるボディカラーリングは、グリーンのライトに至るまで丁寧に再現されている。本当は実物サイズで見るととても綺麗なのだが、個人で実車を展示できるほどスペースが取れないので(理由はそれだけか?)、トミカを眺めて悦に浸っている。

2006年06月04日
一緒に世界を回ったチーロズシャツ

レースも最終戦となると不要になるアイテムを売買に出すスタッフがいる。'96年ITCはシリーズそのものがなくなってしまう。そのラストバトルが鈴鹿で行われた。チーム側にしてみれば使い回しがきく機材以外は全てが不要になるというもの。予選初日、スタンド裏の広場に“日本円”稼ぎに2名のクルーが雑貨を売りに来ていた。
クルーが着ていたチームシャツやTシャツ等を日本円で売っている。同じシャツが近くのグッズ販売のブースでも売っているのだが、USEDだけあって少し安くなっている。きっと日本のジャーナリストか関係者に相場を聞いたのかもしれない。
ドルフィンは「きっとどこかのチームが雑貨を売りに来るだろう」と見込んで予め予算を取っておいた。ITCの中でも好きなチームの一つ、元F1チャンプのケケ・ロズベルグがオーナーのチームロズベルグが来ていたので嬉しかった。
どうせ同じ品なら新品よりも“チームと一緒に世界で戦ってきた”シャツが欲しかった。たとえ外国人特有の体臭が付いていたとしても。
買う時の値引き交渉は当たり前。「これ以上はNO!」となったら次は「ステッカー付けて」「J.J(レート)のサインもらって来て」と、外国語が全くダメなドルフィンは魂で会話して交渉。サインは当日もらえなかったから送ってもらうことに。こうなった段階でサインはあきらめたのだが。ステッカーは翌日手渡してもらった。

予選2日目からスタッフシャツを着て観戦。ピットウォークもピット前でスタッフと一緒に写真を撮ってチームの一員気取り。シャツ効果を充分満喫できた。
幸運な事に、興奮のレース終了後、パドックに行くとJ.J.にバッタリ遭遇。ここぞとばかりにペンを取り出してサインを入れてもらった。ラッキー♪
もちろんシャツは帰ってから1度洗濯した。外国人の体臭ってキツいからね…。

レースも思い出となった1ヶ月後、ドイツからエアメールが届いた。中にはJ.J.とH・スタックの直筆サイン入りポートレートが入っていた! 「売ってしまえばこっちのもの」ではなく、ちゃんと約束を守ってくれたのだ。この律儀な行為に感謝せずに入られなかった。

