2006年09月30日
唯一無二の偉業 マツダ787B
迷惑トラックバック対策のため再掲載
あの年のル・マンTV放送は燃えていた。毎年の事ながら予選では上位を確保するまでになった日本車も、夜を越し、翌日のTV放送が始まるまでには下位に沈んでしまっていた。
だが、マツダ787Bは違っていた。トップを死守していたのだ。「いつ壊れてしまうのだろう?」と心配でならなかった(失礼!)。ゴールのTV放送時間帯など、外国車メーカー&チームの優勝を知らしめるために日本車メーカーがスポンサーしているのが常だったから。
マツダが優勝したときは感極まった。日本のトップメーカーではなく、長いこと、本当に長い間ル・マンに挑戦し続けてきたメーカーだったから。
京商から発売された―と言うよりも、サークルKサンクス限定・ペット飲料水に付いてくるオマケのミニカー。1/100マツダシリーズ。シークレットBOXモノと違って中身が見えて選べるのが嬉しい。だから逆に人気車種は早く無くなってしまうのではないかと、朝ダシュで買いに出た。
「京商」の名を冠しているだけあってカラーリングが細かい。先日購入したルノーシリーズ(http://minicar.blog.hobidas.com/archives/article/4826.html)の大雑把加減とは比べ物にならない。レース仕様車は特にスポンサーロゴが多いから処理が大変だ。
サイズがサイズだけに細部造型のディテールは多少目を瞑らなければならない。だが、目を細めて凝視しなければ分からないほど微小な文字でドライバー名も書かれている。見ていてワクワクしてくる。
全日本耐久参戦車
あの年のル・マンTV放送は燃えていた。毎年の事ながら予選では上位を確保するまでになった日本車も、夜を越し、翌日のTV放送が始まるまでには下位に沈んでしまっていた。
だが、マツダ787Bは違っていた。トップを死守していたのだ。「いつ壊れてしまうのだろう?」と心配でならなかった(失礼!)。ゴールのTV放送時間帯など、外国車メーカー&チームの優勝を知らしめるために日本車メーカーがスポンサーしているのが常だったから。
マツダが優勝したときは感極まった。日本のトップメーカーではなく、長いこと、本当に長い間ル・マンに挑戦し続けてきたメーカーだったから。
京商から発売された―と言うよりも、サークルKサンクス限定・ペット飲料水に付いてくるオマケのミニカー。1/100マツダシリーズ。シークレットBOXモノと違って中身が見えて選べるのが嬉しい。だから逆に人気車種は早く無くなってしまうのではないかと、朝ダシュで買いに出た。
「京商」の名を冠しているだけあってカラーリングが細かい。先日購入したルノーシリーズ(http://minicar.blog.hobidas.com/archives/article/4826.html)の大雑把加減とは比べ物にならない。レース仕様車は特にスポンサーロゴが多いから処理が大変だ。
サイズがサイズだけに細部造型のディテールは多少目を瞑らなければならない。だが、目を細めて凝視しなければ分からないほど微小な文字でドライバー名も書かれている。見ていてワクワクしてくる。
全日本耐久参戦車2006年09月23日
行くべきか行かざるべきか… ベネトンジャケット

F1日本GPが近づいてきた。ここ数年は行く気もしなかったが今年は違う。全日本F3000デビューから見て応援してきたマイケル・シューのラストランであり、鈴鹿での日本GP開催が最後になるからだ。
今でこそフェラーリの顔として君臨しているマイケルだが、初チャンプを獲ったのはベネトンであり、ベネトンに初タイトルをもたらしたのは彼なのだ。ベネトンファンのドルフィンとしてはマイケルを応援していた時期は長い。
アパレルメーカーとしてのベネトンが88年頃の暮れに発売したブルゾンが写真のもの。当時のレーシングスーツの半レプリカだ。今でこそスポンサーワッペンまでそろえたレプリカジャケットは珍しくないが、当時としては「おぉッ!これはイイ!!」と感嘆の声をあげてしまうくらいのものだった(個人比)。
色はグリーン・ブルー・ブラックの三種。ベネトンカラーのグリーンはベタ過ぎなのでブルーにした。
新製品カタログを見て予約注文した。88年暮れの発売だった為、2度の日本GPを逃してしまった。初めて着て観戦に行ったのは89年から。そう、ベネトンを駆るナニーニが初優勝した記念のGPだった。
以来“ゲン担ぎ”で毎年来て観戦に出かけている(普段にも着ていたが)。初年度は同じブルゾンを着ていた人は多かったが、年を追う毎に激減し、より緻密なレプリカを着ている人が増えていった。それでも日本GPにはこのブルゾンで観戦に行っていたので、鈴鹿でしか会わない知り合いが見つけて声をかけてくれたりもした。しかし今ではヨレヨレになりすっかりくたびれてしまっている。
ベネトンがF1から撤退しようとも、また観戦に行く機会があればこのジャケットを着て-と思っているが、今年、着る事にするかどうか、まだ決心がついていない。
2006年09月17日
未知?無知? 037ラリー

このマシンは見た事がない。いや、今まで知らなかった。ランチア037ラリー。グループB全盛期のラリーマシンやチーリングカーレースに投入されていた“らしい”のだが、ほとんど記憶に残っていない。きっとモータースポーツ雑誌で目にしていたのだろうが。
ランチアはスーパーカー(厳密に言えば価格等でカテゴリーから外れる)・ストラトスのイメージが強かった。そこに前車と比較して特長が薄い037の登場は、子供心に拒否していたのかもしれない。今見れば十分スポーツカーのフォルムをしている。
CM’Sのランチア・ラリーシリーズの一員、037ラリー。ここで当たって初めて存在を認識したと言っても過言ではない。ドルフィンにとってはどれだけの戦闘力を秘め、どれだけの戦果を挙げたのか知らない未知のマシンだ。037のオーナーやファンから見れば無知なライターだろう。
実物を知らなくてもモデルカーの出来の良さには感心する。Gr.Bのゴッテリとした空力パーツのボリューム感と細部の凝り様。ハメ込み固定式のウインドウにしつらえられたスライド窓は、クリアパーツにラインで描かれている。縦に並ぶスポンサーネームは虫眼鏡で見なければ分からないほどの細かさ。こういう部分が他社よりも高額・700円前後の価格帯であるにも関わらずCM’Sを買ってしまう魅力だ。
2006年09月12日
グッと目を引くT○○ 280Z-T

今にして思えば「T」ブームだったのだろうか? 世の中に目を引く「T」が登場した。「Tバック」「Tフロント」(同じようなものか…)、そして「Tバーフール」。車のルーフが全部あるいは一部が開く「サンルーフ」ではなく、ルーフのセンター15㌢ほどを残して運転席と助手席別々に開くことができるのだ。この状態で何故「H」とならず「T」となったのか分からない。やはり「T」ブームだったからだろうか?
フェアレディZにもTバールーフが採用された。持って生まれたスポーツ性とともにルーフを開けて走るZはカッコ良く、人々の目を引いた。
『西部警察』の団長専用車・スーパーZ(7/6 自分はコーヒ…いや、大門だ 西部警察スーパーZ)は残ったルーフ部分を利用して、ガルウイング化の蝶番(ちょうつがい)を付けていたと思う。
リアルXのフェアレディ・ヒストリーの1台、フェアレディ280Z-T辺りにターボとともにTバーフーフが装備されたと思う。まさに「T」尽くし。
車の細部や専用ホイールに至るまで精巧な作りのリアルXだが、フロントの「Z」エンブレムはボディと同色になってしまっている。ここはシルバーのポイントを置いて欲しかった~。
スカイラインに比べたら国内のレースではマイナーツーリングがせいぜいのZだが、フロントが鋭利に長い独特フォルムとスポーツカーのイメージからだろうか。集めたくなってしまうシリーズだ。そういう意味合いでは近年のZはこぢんまりと見えてしまって面白みに欠けるように感じている。
2006年09月09日
初めてのお泊り カワサキZX-10R

サークルKサンクス限定・京商'05鈴鹿8耐シリーズ。国内参戦4メーカーを数台ずつラインナップしている。このシリーズで秀逸なのは今までのスーパーカーシリーズだと同一マシンは塗装を変えているだけだったが、レース車はチーム毎にパーツが違うので、同じ型のバイクでも各々細部が微妙に異なっている。4輪車よりも小さいサイズでパーツを変えカラーリングを変えているのはもはや製作側の凝りと意地ではないだろうか?
レーサーであるので自立することは出来ず、台座にレース専用スタンドをはめ込み、その上にバイクを“乗せる”形になっている。軽いのでやや不安定さがある。
TRICK★STAR&B-LINE カワサキZX-10Rはカワサキ系チームらしくライトグリーン基調のカラー。付属のカードの写真ではライト部はクリア素材を使っているが、実物はグリーンで塗装されている。
ドルフィンは2000年以降のレースはあまり見ていない。鈴鹿8耐も何年も見に行っていない。昨年型のマシンをリリースされても実車との比較ができないので、このシリーズでは強引に「鈴鹿8耐の思い出」を語らせて頂きたい。
初めてサーキットに泊まったのが鈴鹿8耐の観戦時だった。「泊まりでレース観戦」は子供の頃から憧れていた“大人の世界”だった。
しかし、寝泊りする車がある訳でもホテルに泊まれる豊富な資金がある訳でもない。友人とともにカップ麺を持って行き遊園地のコンクリートにゴロ寝していた-夏だったから。蚊に刺されたり夜中に雨が降ってトンネル内に避難したりしたけど、それはそれで楽しい思い出だ。
夜の遊園地、ゲーセンのバイクゲームに興ずる外国人ライダーも少なくは無かった(当時はバイクにまたがるゲームが珍しかった)。そこで2輪ライダーに初めてサインをもらった。その選手こそマンガ「-鷹」にも登場するD・アルダナ選手だ。新谷キャラと実物はかなり違っていて、他の方に教えてもらわなければ分からないところだった。
当時の鈴鹿はグランドスタンド席券を買うだけでどこに座るかは自由。自分の好みの場所を確保するため、朝5時頃からゲート前では臨戦態勢になっていた(オープンは8時頃だったのに!)。選手紹介や表彰式が行われるスタンド中央下側に席をキープするために並んで走ったなぁ。一緒に行った友人はこの時に8耐のTV放送(全国ネット)に写ったのだった。
2006年09月06日
「-狼」作者とフェラーリ512BB
カウンタックと並ぶスーパーカーの代名詞:フェラーリ512BB。365BBとの主な外観上の違いはリアタイヤ前のNACAダクト。当時のスーパーカーショーではイオタ(レプリカ)やカウンタックLP500が来る事はあっても512BBは滅多に登場しない貴重種だった。
実際、初めて512BBを目にしたのはFISCOへレースも無いのに遊びに行った祭「-狼」の作者がマセラティ・ボラとカウンタックを引き連れてツーリングに来ていたのに遭遇した時だった。スーパーカーの写真を撮るのを先にすべきか「狼」の作者にサインをもらうのが先か、少年は瞬間的な決断を強いられた。結果、写真を撮ってからサインをもらおうと行動に出た。
サインを求められるのがうっとうしかったのか、少年が近づいた時点で大人たちは車に乗って去っていった…。たった1枚撮ったスーパーカー3台が並んだ写真は、興奮のあまりブレブレの失敗作だった…。二兎を追うものは一途も得ずである。
初夏の頃、西日本でジョージア缶コーヒー2本組に1台1/72スケールのホットウィール製フェラーリ・ミニカーが付くキャンペーンが行われていた。その時は残り少ない中からディーノを選んだ(5/17 美しいカエルちゃん/ディーノ246GT)。
7月に大阪に行った時「もう無いだろう」と思っていたら、あるところにはあるんだなぁ。目立たない場所のコンビニにはまだ残っていた。そこで512BBをGET。人気のエンツォもあったが、見たことも無い車よりも馴染みのある方を選んだ。
コスト安で製造されたオマケ品なのか、作りは荒い。しかしながらスーパーカーキング(当時)としての威厳がこのフォルムにはある。
現在のフェラーリは丸っこくなったデザインが多く、どうも馴染めない(まぁ、オーナーになる訳ではないだが)。熱を入れていた時代の感覚の違いなのだろうか?

2006年09月02日
赤いボディの憎いヤツ トヨタスポーツ800

小学生の頃、登校途中の交差点でコーナーリングする赤いスポーツカーを度々目撃した。まだトヨタ2000GTを見た事が無かったので「あれがそうか?」とか「いや、小さいぞ」と車好きの友人同士で盛り上がっていた。
丸みを帯びたボディライン。カッコイイと言うよりはカワイイ感じの謎のオープン・スポーツカー。
ある日、友人が近所の方が所有していたと写真を撮ってきて正体が分かった。トヨタスポーツ800だった。
後年、漫画『-メカドック』で「ヨタ8」として広く注目を浴びるまで、マニアックな車だったのではないだろうか? それにしても「ヨタ8」って呼び方は「ヨタロ~」みたいな頼りない感じがして好きではないなぁ。
国産名車の12号はトヨタスポーツ800だった。ホームページ上では半年以上前から告知されていたので、発売されるのをどれだけ待った事だろう。ドルフィンが住んでいた地域は「国産名車シリーズ」が先行発売されていたので、国産名車の全国発売に足並みを合わせるために発売間隔が長かったからだ。
コスモスポーツやトヨスポ8のような小柄なスポーツカーは、スケールが小さいミニカーになると、本当に小ぢんまりとしてしまい損をしたような気になってしまう。そのため国産名車のように精密の割には安いモデルカーで入手したかったのだ。
国産名車のモデルカーは最初からオープン仕様。そのため、コックピット無いもまじまじと眺められるので、一層精巧に作られている。ボディカラーも真っ赤ではなく、少しオレンジが入ったような金赤(印刷物で言うならマゼンタ100+イエロー100)っぽいのが“らしさ”を醸し出している。
ショートで流線型ボディは照明が当たった時の反射光の加減が優しくて、見ていて飽きないほどだ。
最近では博物館でしか実車を目にしていないが、昔見た時のように爽快に走る姿を是非もう一度!

昔、茅ヶ崎の親戚宅近所で発見したトヨスポ8
前向き駐車だったので金網が入ってしまった…
