2006年10月31日
心動いた4H ホンダ学園CBR1000RR

'05年鈴鹿8時間耐久レースのマシンをモデル化したサークルKサンクス限定京商シークレットBOX。レースマシン(レーサー)だけあって、各チームの改造部分も忠実に再現しているのが嬉しい。ホンダ学園CBR1000RRはワークスマシンではないので、ベーシックな作りになっている。ホンダ共通のセンター1本出しマフラーに貼られているメーカーのステッカーや、スィングアームに書き込まれた文字まで細かく作りこまれている。
見た目や写真では重量感があるものの、実際は軽くてレーサーを固定するスタンドから倒れてしまいそうになる。

「強引に鈴鹿8耐の思い出 ④」
2輪レースに初めて“出かけた”のは「鈴鹿8時間耐久ロードレース」だが、初めて見たロードレースの決勝は、前日・土曜日開催の4時間耐久レースになる。
金曜日に一日かけてサーキットをぐるりとして観戦場所を考慮した挙句、当日が雨天だったので「転倒が多くなるから」と2コーナーに決めた。まだ巨大なスタンドが建立される前の“土手スタンド”の頃だ。
果たして決勝レースは大荒れの展開。スタート直後から1~2コーナーでは転倒続出。多重転倒もしばしばありヒヤリとさせられた。
しかし観客はアクシデントを笑ってみている訳ではない。転倒やコースアウトから復帰するライダーに対し、観客席からは大きな拍手と声援が贈られるのだ。完走目指してレース復帰するガッツと差別無く応援する観客―初めて体験する世界にただただ感動するのみだった。
鈴鹿8耐&4耐に久しく行っていないが、今でもあの一体感は続いているのだろうか? レース観戦の新たな喜びを知った一日だった。近年では決勝に駒を進めるのはセミワークス体制のチームがほとんどになっているが、まだまだノービス・アマチュアの祭典だった頃の話。


多重転倒続出。ビーチパラソルのコースポストも時代を感じる
2006年10月30日
トリプルファイターに! スバル360

スバル360を見ると、いつも『トリプルファイター』を思い出す。
愛らしいまんまるフォルムのスバル360.小型乗用車として人気を博した名車だ。独特のデザインはワーゲン・ビートルよりも日本人ウケする。
初めて目にした時は既に中古車。安かったのだろう、円谷特撮ヒーロー『トリプルファイター』の敵が乗る車として使用されていた。ツヤ消しブラックで全体を塗装された360は、その丸さから“硬質感”が無く、まるで布で作られたヌイグルミのように見えた。敵戦闘員が車から降り、ボンネット上に飛び乗ってジャンプするものだから“弾力さ”を強調するのはなおの事。
こんなカワイイ車が3台くらい出てきて、主人公3兄弟を取り囲む。両トビラが開いて黒い全身タイツを来た戦闘員が現れる―なんという緊張感が無くホノボノとした雰囲気だろうか。
アサヒ缶コーヒー ワンダのキャンペーンで付いてきた「プロジェクトX」シリーズの1台。スバル360はミニカー集めの「レース車かスーパーカー」という主義のどちらにもほど遠いのだが、可愛らしいので手元に置きたかった。1/100サイズくらいなのだがダイキャスト製。このくらい小さくなると、合金製でもチョコエッグのように合成樹脂製でもあまり変わらないような気がする。本物のてんとう虫をほんの少し大きくしたら、こんな風になるのではないだろうか?
今、ほんのチョット『トリプルファイター』が見たくなった。
2006年10月30日
ジョニーの子守唄 ベネトンB188翼端版
迷惑トラックバック対策のため再掲載

F1マシンの中でも一際美しいマシン「ベネトンB188はジョニー・ハーバートのイメージがある」と『ベネトンB188モデル』の項で書いた。
国際F3000からステップアップしていきなり4位に入ったジョニーの、若くてキザなイメージと、上昇気流にあるチーム、派手で美しいバランスのマシン。全てが一体となった感じがした。
そのジョニーがドライブしたB188のフロントウイング翼端版を入手した。
*翼端版はウイングの外端に付いて空気の流れを決める板の事。
入手と言っても「ガレージでもらった」とか「知人から譲り受けた」等ではなく、ショップから購入したのだ。こんなジャンク・パーツを大金を払ってまで欲しがるとは、ファンの心理は興味無い方には理解しがたいものだろう。
しかし、ジョニーがこのマシンをドライブした期間は短い。シリーズ序盤でクラッシュに巻き込まれて戦列を去ったからだ。もちろん日本GPにも来ていない。それだけに貴重なものだと感じたからだ。
幅広いフロントウイングが特徴のマシンだけあって翼端版も長い。カーボンファイバー製で軽い。
できればジョニー本人にサインを入れてもらいたかったが、入手時期は彼が全日本F3000からF1に戻った後だったので出来なかった。全日本で(リハビリとして)走っていた頃もあまりパドックで見かけなかったなぁ。今でもA・ナニーニ同様好きなドライバーの一人なので会いたいなぁ。おぉぉジョニーどこにいるのか♪

鈴鹿サーキット前のショップに展示されていたB188ナニーニ車
ハーバート車は本当に貴重な存在なのだ(1台はクラッシュでツブレているし)

F1マシンの中でも一際美しいマシン「ベネトンB188はジョニー・ハーバートのイメージがある」と『ベネトンB188モデル』の項で書いた。
国際F3000からステップアップしていきなり4位に入ったジョニーの、若くてキザなイメージと、上昇気流にあるチーム、派手で美しいバランスのマシン。全てが一体となった感じがした。
そのジョニーがドライブしたB188のフロントウイング翼端版を入手した。
*翼端版はウイングの外端に付いて空気の流れを決める板の事。
入手と言っても「ガレージでもらった」とか「知人から譲り受けた」等ではなく、ショップから購入したのだ。こんなジャンク・パーツを大金を払ってまで欲しがるとは、ファンの心理は興味無い方には理解しがたいものだろう。
しかし、ジョニーがこのマシンをドライブした期間は短い。シリーズ序盤でクラッシュに巻き込まれて戦列を去ったからだ。もちろん日本GPにも来ていない。それだけに貴重なものだと感じたからだ。
幅広いフロントウイングが特徴のマシンだけあって翼端版も長い。カーボンファイバー製で軽い。
できればジョニー本人にサインを入れてもらいたかったが、入手時期は彼が全日本F3000からF1に戻った後だったので出来なかった。全日本で(リハビリとして)走っていた頃もあまりパドックで見かけなかったなぁ。今でもA・ナニーニ同様好きなドライバーの一人なので会いたいなぁ。おぉぉジョニーどこにいるのか♪

鈴鹿サーキット前のショップに展示されていたB188ナニーニ車
ハーバート車は本当に貴重な存在なのだ(1台はクラッシュでツブレているし)
2006年10月30日
フィナーレを飾った BP GTR
迷惑トラクバック対策のため再掲載

一部で「F3000より高価なハコ車」と言われていたGr.A参戦用スカイラインGTR(R32)。量産レーシングカーとは言えF3000はF1に次ぐクラスの純粋レーシングマシンであり、国内最高フォーミュラだ。それなのに一般乗用車ベースのGr.Aマシンの方が値段が高いとは、聞いて驚いた。
R32GTRはGr.Aで勝利するために開発され「市販車」というレギュレーションのために販売された。レース仕様車はさらにレギュレーション内ギリギリまで徹底的に手を加えられているらしい。
最初は2台だけの参戦だったが、次第に台数を増やして最終年には7台までになった。
普通、同一車種だけのレースは飽きられてしまうものなのに、Gr.Aは人気が高まるばかりだった。
最後のレース'93年INTER TECには自分も含め多くのファンが集まった。優勝候補が次々リタイアし、ディビジョン3のカローラが横転クラッシュする波乱の展開。最後の優勝車は予選下位から追い上げた伏兵・横島久選手とトム・クリステンセン選手のBPオイル・トランピオ・GTRだった。GTR勢唯一のTOYOタイヤを履く。
トミカリミテッド・スカイライン伝説の1台・トランピオGTR。「伝説」のBOXは6台セットなのだが、何故FETが落ちてしまったのだろう? 優勝しなかったから? チョット地味な存在だったのかも。
トランピオGTRはイエローの地にグリーンの目に鮮やかな美しい配色。細かいスポンサーロゴが特徴の「リミテッド」だが、このトランピオに限ってはテールにある「Zippo」のロゴが欠けているのだ。版権が取れなかったのだろうか。
華やいだ雰囲気の他のGTRマシンと違ってトランピオGTRは惜別の少しもの悲しい雰囲気が漂っている。


横島選手(左)とトムクリ選手のサイン(右)

一部で「F3000より高価なハコ車」と言われていたGr.A参戦用スカイラインGTR(R32)。量産レーシングカーとは言えF3000はF1に次ぐクラスの純粋レーシングマシンであり、国内最高フォーミュラだ。それなのに一般乗用車ベースのGr.Aマシンの方が値段が高いとは、聞いて驚いた。
R32GTRはGr.Aで勝利するために開発され「市販車」というレギュレーションのために販売された。レース仕様車はさらにレギュレーション内ギリギリまで徹底的に手を加えられているらしい。
最初は2台だけの参戦だったが、次第に台数を増やして最終年には7台までになった。
普通、同一車種だけのレースは飽きられてしまうものなのに、Gr.Aは人気が高まるばかりだった。
最後のレース'93年INTER TECには自分も含め多くのファンが集まった。優勝候補が次々リタイアし、ディビジョン3のカローラが横転クラッシュする波乱の展開。最後の優勝車は予選下位から追い上げた伏兵・横島久選手とトム・クリステンセン選手のBPオイル・トランピオ・GTRだった。GTR勢唯一のTOYOタイヤを履く。
トミカリミテッド・スカイライン伝説の1台・トランピオGTR。「伝説」のBOXは6台セットなのだが、何故FETが落ちてしまったのだろう? 優勝しなかったから? チョット地味な存在だったのかも。
トランピオGTRはイエローの地にグリーンの目に鮮やかな美しい配色。細かいスポンサーロゴが特徴の「リミテッド」だが、このトランピオに限ってはテールにある「Zippo」のロゴが欠けているのだ。版権が取れなかったのだろうか。
華やいだ雰囲気の他のGTRマシンと違ってトランピオGTRは惜別の少しもの悲しい雰囲気が漂っている。


横島選手(左)とトムクリ選手のサイン(右)
2006年10月26日
シリーズ・ミニカーラックへの道①
ミニカーラックへの道①
ミニカーの台数が増えたので、ミニカーの飾り棚=ラックが欲しくなった。転居に伴い、嫁はんから納戸の面一つを棚にして良いとのお許しが出たので「こんなものが欲しいな」という希望図を描いてみた。

小さなモデルカーを床から天井まで置いても見るのが大変なので、目線の範囲だけをミニカーを飾る棚にし、上下はレースやスーパーカーを撮影したアルバムや雑誌などの収納に考えた。
ミニカー棚部分はホコリが入らないように透明アクリル板を付けたい。
問題は手先が不器用なドルフィンが自作できるかどうかである。部屋のリフォームをしてくれた大工に頼むと相当高価な品になってしまう。それなりに納得がいく出来にはなるだろうが。
フル製作は難しいので既成のカラーボックス等を流用して作れないものだろうか?―と現在、模索している。
ミニカーの台数が増えたので、ミニカーの飾り棚=ラックが欲しくなった。転居に伴い、嫁はんから納戸の面一つを棚にして良いとのお許しが出たので「こんなものが欲しいな」という希望図を描いてみた。

小さなモデルカーを床から天井まで置いても見るのが大変なので、目線の範囲だけをミニカーを飾る棚にし、上下はレースやスーパーカーを撮影したアルバムや雑誌などの収納に考えた。
ミニカー棚部分はホコリが入らないように透明アクリル板を付けたい。
問題は手先が不器用なドルフィンが自作できるかどうかである。部屋のリフォームをしてくれた大工に頼むと相当高価な品になってしまう。それなりに納得がいく出来にはなるだろうが。
フル製作は難しいので既成のカラーボックス等を流用して作れないものだろうか?―と現在、模索している。
2006年10月24日
カペリ、トップの真事実 レイトン901

マクラーレン/ホンダ圧勝のF1'88年シーズン。日本GPでセナとプロストが同チーム同士で優勝争いをしている最中、I・カペリが駆る自然吸気エンジン搭載のレイトンハウス・マーチ881が一瞬(記録では1周)だけトップに立ち観客を沸かせた。
TVや雑誌では語られていないが、あの首位奪取には隠れた理由がある。
レイトンのカペリがホームストレートでマクラーレンのプロストを抜く寸前の出来事。ラルースの鈴木亜久里がシケインでスピンした。そこにトップを走るプロストが進入してきた。ブレーキを強くし追突を回避。そのためストレートの伸びが鈍くなり、加速してきたカペリに一瞬抜かれてしまったのだ。この出来事はシケイン視界に入る僅かな(全体から見れば)観客だけが目撃できた。
スピンアクシデントをモノにできる位置にまで差を詰めていたカペリの好走あっての事なのだが。
ONIXから出ているレイトンハウス901は、大活躍した'88年モデルではないが、老舗レーシングカー・コンストラクターのマーチが作り上げた名車の1台。ドルフィンが引越しの際に、レース好きの友人が餞別にくれた品である。
再現されたレイトンブルーと呼ばれる独特のイメージカラーで覆われ、オイルメーカーのグリーンがアクセントに入る。ドライバーはエースのカペリ。ヘルメットは丁寧に塗装されているが、ドライバーの体がちゃちなのがONIXの弱点。'90年代初頭までのF1ブームを支えたモデルメーカーらしからぬ手抜きである。
ゼッケンは故・萩原光にちなんだレイトンハウスのナンバー「16」。彼の思い出話はまた別の機会に。

F1日本GPでのI・カペリとレイトンハウス901
2006年10月20日
常勝イメージ セリカGT FOUR

近年F1にセナやシューマッハがいて盛り上がりを見せたように、ラリー界にもカルロス・サインツというヒーローがいた。今年、S・ローブが記録を塗り替えるまでWRCの最多勝利数を誇っていた。しかもその偉大な選手が日本車に乗っていたのだから、(日本では)地味だったラリーに興味を持つ者が増えた。ドルフィンもその一人。
昔から日産や三菱がWRCに挑戦していたが、やはり勝てるドライバーを抱して一時代を築いたトヨタのインパクトには勝てない―と思う。そして当時は珍しかった四輪駆動のスポーツカー・セリカGT-FOURのカッコ良さを加え、全てが一体となった常勝トヨタというイメージがある。
CM’Sのラリーカーシリーズのトヨタ編。'95年仕様のGT-FOURは最終形態。フロントライトがリトラクタブルから剥き出しになり、巨大なリアスポイラーが付けられている。市販車にも同じ姿をした(あくまで姿だけで性能は劣る)Gr.Bモデルが限定で売り出されて人気を博した。価格がかなり高かったので「性能は変わらないのなら、オプションでリアスポイラーを付けて、フロントボンネットを変えた方が安い」と言う人もいた。
モデルではボンネットにある小さなダクトまで再現。車内にはスペアタイヤまで入っているという凝りよう。前年度チャンピオンのゼッケン「1」が誇らしい。
昔からスポーツカーの肩書きを持ち一時代を築いたセリカも生産中止になってしまった。モデルカーを眺めながら栄光の日々に思いを馳せたい。
2006年10月16日
スマートなライダー レイニーYZR500

ガードナー、シュワンツ、そしてローソンと2輪世界選手権でチャンプ争いを繰り広げたライダー、ウェイン・レイニー。当時の個人的見解では映画『スーパーマン』のクリストファーリーヴ氏に似てるなーと思っていた。モデルのようなルックスとは対照的な攻め込むような走り。―そのギャップがカッコ良かった。
事故で再起不能、車椅子生活になったと雑誌等で知った時はショックだった。しかし、チーム・レイニーの監督としてサーキットにカムバックしてくれたのは喜ばしい事だ。
さらにWGPにデビューしたノリックを指導するレイニー監督の姿も印象的。
チャンピオンバイクの1台、レイニーのヤマハYZR500.昔からある赤白のタバコカラーが良く似合う。タバコ広告禁止国仕様になっているが、縦ラインが微妙にタバコ名のロゴっぽく見えるようにしているところがニクイ。
市販車にも取り入れらるほど特徴的な後方2本出しのチャンバー。チャンピオンバイクだけでなく、京商の8耐シリーズにも言える事だが、チャンバーの筒が空洞になっておらず、型の接合がモロ見えになってしまっている所が悲しい。価格を考えれば仕方ないのだが。もっと高価な同サイズの市販ディスプレイモデルではどうなっているのだろう?

チャンピオンバイクシリーズで当時のチャンピオンとしてはエディ・ローソンだけがモデル化されていないのだが、何故だろう?
2006年10月13日
湘南の香りがする車 Z300ZX

「湘南の香りがする」と言っても磯臭い車ではない―。湘南海岸を走った思い出の車である。
以前に勤めていた会社の同僚がフェアレディZ300ZXに乗っていた。ある日、仲の良い男女4名でドライブに行く事になった。横浜にある友人宅から湘南海岸を抜けて箱根ターンパイクへ。そこまで行ったなら―と、静岡にあるドルフィンの実家まで行ってしまった。帰りも湘南海岸沿いの道を走り鎌倉へ。
このドライブが楽しかったので、第2回、第3回とメンバーと車を増やして出かけた。その全てが湘南海岸沿いのルートを使った。
それまでこのルートを走る機会が無かったので、テレビでよく見る景色が新鮮だった。左手に海を眺めながら可愛い江ノ島電鉄と並んで走る様が今でも瞼に焼き付いている。
リアルXのフェアレディ伝説コレクションもZ300ZXで最後。ドアミラーまでしっかり作りこんでいてリアルだ。車種によって異なるダッシュボードや専用ホイールも緻密に作りこんでいるのが嬉しい。車のカラーラインナップに友人所有車のカラーが無かったのは残念。
湘南海岸と江ノ電の組み合わせにはZ300ZXが欠かせない。
2006年10月11日
アフターレースの楽しみ スズキGSX-R1000

鈴鹿8時間耐久'05シリーズが、サークルKサンクス限定で京商から発売された。カストロール・スズキGSX-R1000はその中の1台。この限定ミニカーシリーズのような同じマシンを塗装を変えただけではない。レーサータイプらしく、各チーム毎の改造も忠実に再現しているところが嬉しい。
スズキのマシンは全てマフラーが違うものになっているのが特徴。さらにゼッケン「2」のこのマシンはカウルの形状が少し異なっている。スポンサー名「0123」の「1」部分の上に開けられたダクト部が丸みを帯びているのだ。'05マシンを写真すら見た事が無いので、本物がどうなっているのか見比べができないのが残念。
―という訳で、
「強引に鈴鹿8耐の思い出 ③」
8耐観戦の経験=サーキット連泊の経蓄になる。最初は夕食に遊園地の自販機(最近は見かけなくなったが、ラーメンを取り出した後、注入口に入れてお湯を注ぐ形式)でカップラーメンを購入していた。しかし小遣いも多くないので、少しでも経費を削りたいと、スーパーの安売りラーメンを持ち込み、お湯だけ拝借していた。本当はお湯だけってダメなのだが…。
「そんな事して、いくらも違わないだろう」と思われるかもしれないが、その差が昼の暑い最中のドリンク代につながるのだ。
サーキットまでの交通手段も電車からバイク、そして車へと移っていくと、持ち込める物資も多くなる。それが“自炊”への道につながる。
バーベキュー? いやいや、そんな当たり前の事はしたくない。真夏の暑さの中を一日過ごした後はそうめんでスッキリでしょう! カセットコンロでお湯を沸かして茹でる。当時、新設されたボウリング場横の洗面所で水洗いするのだ。「そうめんだ。いいなァ」の声が周囲から聞こえてくる。内心「してやったり」である。
友人と物資を分担。コンロも2台になると、パスタを茹でてレトルトのソースをかけたり、パンを焼いて紅茶を入れたりと生活が豊かになる。こういった工夫・進歩発展がアフターレースの楽しみでもあった。
2006年10月10日
運もヒーローには必須? アストンマーチンバンキッシュ

スーパーカーが登場するからと、子供の頃に『007』映画をTVで見た。“ボンドカー”の事である。しかし、ビデオが無かった当時、何本かTVで放送された作品でボンドカーが登場したのは「ゴールド―」と「―二度死ぬ」だけでガッカリしたものだ。
それはそれとして、アクション・スパイ映画がつまらなかった訳ではない。好きなジャンルの映画だし、日本のドラマやアニメも少なからず影響を受けていた。「私を愛した―」に使われたロータス・エスプリはカッコ良かった。ドルフィンにとって“007のイメージ”はショーン・コネリーかロジャー・ムーアだ。
シリーズも何本か経過すると、次第にボンドがスパイとしての技量より運によって危機を脱する場面が多くなってきた。「これは違う」と感じるようになり、映画を見なくなってしまった。ヒーローに幸運は必要だが、それ以上に技量が欲しい。そうではないと見ていて「運だけの男」に捉えられてしまうだろう。
京商がサークルKサンクス限定でリリースした007 ボンドカー・シリーズ。近年のマシン、アストンマーチンV12バンキッシュも映画を見ていないので、どのような活躍をしたのか全く分からない。
かなり高価な車らしいので映画の予算をだいぶ食ってしまい、作品内容がスカスカになってしまったのではないだろうか?―と心配してしまう(タイアップで無償or安価供給?)。
作品に登場したモデルなので、通常の車シリーズのように、同型異色で数を増やす訳にはいかない。シルバーメタリックの塗装も映画登場車に合わせてあるのだろう。
モデルカーを見るとボンネットに機銃のようなものが見える。まるで『西部警察』のスーパーZだ(7/6 自分はコーヒ…いや、大門だ 西部警察スーパーZ)。いつも時代を先取りした武器を使用するイギリスのスパイの事だ、これはレーザー砲かもしれない。これは一度作品を見て確認せねばならないだろう。―それにしてもDVD全盛期のせいだろうか、近頃はTVで007映画を放送しなくなったなァ。
2006年10月08日
F1日本GP TV観戦

●直接対決も無く眠気が…
鈴鹿での開催がラストとなるF1日本GP。結果はあっけない幕切れ。タイトル争いをするフェラーリのマイケル・シューとルノーのアロンソ。両雄が力の限り戦っての勝敗ならまだしも、ここ大一番でマシントラブル→リタイアという結果は消化不良。機械を使う勝負なのだから「そういう事もある」と分かっているが。
他国GPをTV観戦しているのならまだしも、自国開催でなおかつ高い金払って見に行っている人にとって「そういう事もある」なんて綺麗事言っていられない。
2台が直接競り合う事無く進む展開。TVを観ていて眠くなってしまった。サーキットに行ったとしてもきっと眠たくなっただろう。あの爆音の中でも体に響くサウンドと気温で眠気を催すことはよくある。高価な子守唄だ。
●TV観戦で良かった―のかな?
反面、TVでは映し出されない興奮が現場にはある。観戦して帰ってから録画したTVを見ていると「こんな良い場面が写っていない」なんてしょっちゅう。会場の興奮や選手の熱意も体全体で受けるので、日常では得られないテンションにもなる。これがスポーツ観戦の良いところ。
今回のTV放送など、一般受けするようにゲストも多彩。コメントやうんちくに割かれる時間も多くなる。「その分、予選ハイライトや選手の表情、マシンを細かく見せろ!」とイラ立ってしまう。
●終わってからの“予言”は恥ずかしいぞ
モータースポーツ・ジャーナリストを名乗る方々はどうして“事が終わってから”「こう思っていた」だの「こう言っていた」とコメントしたり文章にしたりするのだろう。終わってからでは何とでも言えるのに。
今回も終わってから「言っていた」と臆面も無く語る方がおられたが、恥ずかしくないのかな?
●ラストは爽やかに
リタイアした後のマイケルがクルーに怒りをぶつけるどころか労をねぎらっていた。壊れてしまったマシンをメンテナンスしていたメンバーに対し、普通はなかなかできることではない。
それなのに「サイボーグと言われていますが、最後は爽やかに―」なんてTVではコメントされている。え? マイケルって結構礼儀正しいと評判じゃない。だからこそここまでの地位を築けたのでしょう。そういう点はドルフィンも見習わなければと思っている。
さらばマイケル・シュー。
2006年10月08日
ありがとう鈴鹿 F1日本GP予選観戦

アロンソを押さえ込むマッサ
●6年ぶりにサーキットへ
レースへの興味が失われていたが、6年ぶりに鈴鹿サーキットに出かけた。「マイケル・シューの日本ラストラン」「鈴鹿で最後の日本GP」という要素があり、重い腰を上げた。それでも予選だけなのだが…。
世界でたった20数人しかなれない優れたドライバーの技術とバトルを堪能したいのに、現在ではピット作業で順位が換わるのがほとんど。耐久レースじゃないんだから。どのマシンがどの順位を走るかまで“常識”になっている。「このマシンでこの位置を走るのは素晴らしい!」―なんて見方はレースじゃない。
何十億円と注ぎ込んだ超テクノロジーマシンの週末走行会を高い金払って観るのは無駄遣い。予選だけで十分。
コース上の順位変動を楽しむのではなく、1年のシリーズを通してのチャンプ争いが面白いに過ぎない。十年前までは、どこを見ても熾烈な追い抜きが見られ「F1って凄いな」と思えたのに…。
●行けば燃えるなーっ
サーキットに着けば“熱を上げていた時”の血潮のウズキが戻ってくる。多くの観客、お祭り的雰囲気。国内レースは見に来なくても、年に1回F1を楽しみにしている人々の気持ちが爆発しているようだ。
午前のプラクティスはスプーンカーブ進入で観ていた。速い! 久しぶりに見るF1は速くて目が追いつかない。スチールカメラを持ってこなくて良かった。錆びた腕で流し撮りしても失敗の連続だっただろう。
しかし、速さの割りに音が鈍い。耳の奥底に突き刺さるカン高さ、体の芯まで響く太さが無い。2.4㍑エンジンになってこうも変わってしまったのか。
ちなみに、有名どころ以外のドライバーやマシンってよく分からないまま見ていた。
●シートがレース観て喜んでいるのか!?
観戦券とは別の指定料金エリアが大半になってしまったせいもあるが、自由席はビニールシートで席を確保されている状態。遠くから見ると土や芝が見えず、色とりどりのシートで埋め尽くされている。
本人が座るならまだ話は分かる。しかし、走行時間になっても座る人は現れない。席だけ確保して他の場所に行って見ているのだ。そのせいで奥の通路で立って観なくてはならない人が多い。警備員に「通路で立ち止まらないで」と注意されながらも。
ビニールシートがF1見て喜んでいるのか!? 自分さえ良ければいいという醜い考え方だ。サーキット側も撤去するなり対策しなくては、富士に移ってもエスカレートする一方だろう。
ちなみにドルフィンはそんな空いているシートの上にズカズカと座って観戦していた。

左近選手がスピン!
●現場に行かなきゃ分からない白熱予選
予選はヘアピンに移動。第1セッションで日本人ドライバー左近選手がいきなりスピン。自分の方に向かって滑り込んで来たので驚いた~。一旦コースに戻るがすぐにマシンはSTOP。マシンから降り、セッション中うな垂れていた左近選手。気持ちが伝わってくる。
第1ピリオド(以下P)はスーパーアグリの第2P進出の可否。第2Pではトヨタ、ホンダ、マクラーレンの進出の可否が注目され、ハラハラドキドキ。新予選方式は面白いと思う。
TV放送では扱いが少なかったが、マイケル・シューの1分28秒台を出したスーパーラップは迫力があった。3㍑エンジンよりも速いタイムを出した時、会場からドヨメキ、拍手が沸き起こった。
クライマックスは第3ピリオド。ピットから真っ先に出たフェラーリ2台が対するルノー2台を押さえ込んだシーン。こういう演出というか“やる気”を伝えて盛り上げる場内アナウンスも上手。会場のテンションがヒートアップ。
そしてピットインしたフェラーリのマッサを今度は押さえ込むルノーのアロンソ。タイトル争いをするチーム間での駆け引きに見応えあった。

うな垂れる左近選手 こんな時こそ応援が必要だ
●最初と最後は同じ場所
ふと気付けば、'87年に鈴鹿初開催時に行われた木曜日の慣熟走行も、今回観戦が最後となる予選もヘアピンで観ていた。意識していたわけではないが、偶然、最初と最後が同じ場所での観戦というのも自分の中でジンとするものがあった。
●ありがとう鈴鹿
'77年に富士スピードウェイで開催されたF1日本GPの後、日本での開催を待った。10年も。憧れのハント、ラウダ、アンドレッティは引退していたが、鈴鹿サーキットが日本でのF1開催を可能にしてくれた。嬉しかった。本当に「ありがとう。鈴鹿サーキット」。
2006年10月06日
初恋の味 ベネトンB186

鮮やかで幾多の色がハケで塗られた ようなカラーリングを施したF1・ベネトンB186。このマシンの登場は衝撃的だった。それまで格好良くまとめられたデザインやド派手なカラーのレーシングカーはあっても、芸術的センスを持ったデザインカラーのマシンはこれが最初ではないだろうか。
まだ鈴鹿でF1が開催される前なので専門雑誌の写真でしか見た事が無い。ハケカラーのB186の登場で、ベネトンが大好きになった。
写真でしか見られない好きなマシン。実物を、走っている姿を見てみたい―まるで初恋相手の写真を見つめて胸トキメかしている様でもある。
ベネトンの色作戦はエスカレートし、4本あるレーシングタイヤの側面にまで色を付けてしまった。元が黒いゴムなので、そこにペイントしてもあまり綺麗ではなかったのだが…。
ドライバーは若きゲルハルト・ベルガー(髪もまだある!)。このB186ので自身もベネトンチームとしても初優勝を遂げた。そのベルガーが今日から開幕したF1日本GPの決勝日、鈴鹿F1往年の名車走行イベントに来るらしい。現役当時のカッコ良さが失われていなければ良いのだが。
ミニチャンプスから出ているB186.ベルガーのヘルメットはフェラーリ移籍後から現在に至るまでのものではなく、ベネトンを意識した当時のデザイン。知らない人は「エッ!? これベルガーじゃないんじゃないの?」と思うかもしれない。多彩ではあるが、デザイン的に地味だと感じる。
マシン最大の特徴であるハケカラーが丁寧に再現されているのが嬉しい。近年F1マシンの複雑な曲面を使ったボディと配色よりは作りやすいかもしれないが。
現在では新品を販売している事はなく、ネットオークションで見つけて落札した。同じモノなのだがその時によって落札価格が大きく違う商品だった。まだオークションを始めて間もない頃だったので、安めに入札し、上限を決めてそれ以上は深追いせずに次を待ったのだった。
好きなベネトンのマシンは残すところナニーニのB189の発売を待つだけとなった。

B195

B190

B188
2006年10月05日
シルバーアローは戦うアロー ザウバーC9

大昔、ル・マン24時間耐久レースで大惨事を引き起こしたメルセデスが、既存チームザウバーを支援する形で長年の沈黙を破って復活。ボディをイメージカラーの銀にし、フロントにエンブレムを付けたGr.Cカーザウバー・メルセデスC9が勝利した。モータースポーツ界へ本腰を入れて復帰するメルセデスの意思が見えた優勝だった。
メルセデスのGr.Cカーと言えば、そのジュニアチームで英才教育を受けたマイケル・シューが有名だ。F3、1回だけのF3000を経てF1にステップアップ。「いつかはメルセデスF1に乗るだろう」と思われていたが、どうして、どうして。逆にメルセデス最大の敵として、ベネトンとフェラーリで王座に君臨し、その現役生活を終えようとしている。
マカオF3はカワイスチールがスポンダーをして優勝。たった1回のF3000は菅生(観に行きました!)。ジュニア時代にはWSPCでオーポリを走った―と節目節目に日本に縁があるドライバーだと思う。
そのマイケルの日本ラストランとなるF1日本GPが明日から開催される。チャンピオンの行方云々よりも、彼がどんな走りをしてくれるのかが楽しみだ。

京商が出しているサークルKサンクス限定ミニカーのメルセデスシリーズの1台。メルセデスは「何が出てもOK!」というランボルギーニと違ってレース系以外は全く興味が無いメーカーなので、3個だけ購入。都合良くザウバーが出てくれるほど幸運ではなかった。
そこでオークションに走った。何度目かのチャレンジで、ル・マン優勝のゼッケン「63」を落札できたのだった。元値を考えると高いが、お目当てのマシンをGETするために3~4個多く買ったと思えばいいかな?
「銀一色で塗装が簡単」なんて思ってはいけない。僅かに付いているスポンサーロゴや、J・マスをはじめとするドライバー名もしっかり見えている。ライト部にクリアパーツを使ってくれているのも嬉しい。ル・マン優勝の衝撃が伝わって来るようだ。
