2006年11月30日
BIGなPOP MotoMapWINSGSX-R1000

鈴鹿8耐には欠かせないチーム『ヨシムラ』―この夏に発売されたサークルKサンクス限定、京商「'05鈴鹿8耐シリーズ」は10個買ってダブリは無かったがヨシムラとモリワキも当たらなかった。非常に残念だ。
No31のMotoMapWINSGSX-R1000はスズキのバイク。小さなモデルながらもマフラーに「ヨシムラ」のロゴが見える。実車はヨシムラのパーツを多用しているか、コンプリートマシンなのかもしれない。鋭角なフロントマスクが特徴だ。

―という訳で
「強引に鈴鹿8耐の思い出 ⑤」―ヨシムラ
プライベーターでありながら優勝経験があり、今日のワークスチーム主流の中にあって、スズキのセミワークス的存在になっている『ヨシムラ』。創設者は“POPヨシムラ”の愛称で親しまれている。「―鷹」や「―伝説」等バイクマンガにも登場している。
健在の頃は8耐の選手紹介セレモニーの時にも姿を見せて、メーカー別ファンの垣根を越えて絶大なる人気と尊敬を受けていた。「今はそんな時代じゃない」と言う人もいるが、勘で手曲げ製作したマフラーがメーカー製よりも良い性能を出した等の“伝説”を聞くと「本当にバイクが好きな職人だったんだな」と思いを偲ぶ。

健在の頃のPOPヨシムラ
チームとして記憶に残るのは、'87年に首位を走りながらも残り10分で転倒してしまった高吉選手の事。追い上げて来る2番手からのプレッシャーか、優勝への重圧か…。スタンドで見ていたらS字で急にバイクのライトが消えた。サーッキットビジョンとアナウンスが興奮して転倒を伝える。歓声とも悲鳴ともつかぬ声がサーッキットに沸きあがる。ヨシムラにとっては久々の優勝が消えた。
この時、マンガのような事が本当に起こるものなんだな―と痛感した。
POPは天に召されたが、BIGなオヤジの意思は今でも受け継がれている。

'87年鈴鹿8耐でのヨシムラGSX-R750
2006年11月28日
安定して速い ポルシェ911GT2

販売用レーシングマシンなのに安定して速い-それがポルシェの凄いところ。ポルシェ911GT2も世界のGTレースのプライベーター用マシンとして参戦し、好成績を残している。
市販ポルシェは参加台数が多いためだろうか“特別感”が薄い。だが、911GT2が初めてデリバリーされた時は違った雰囲気を受けた。張り出したオーバーフェンダー、ノーマルでも大きなリアスポイラーにウイングを追加。その左右にインダクションポッドが口をあけている。ポルシェ・カップ・カーと違い、間近で見ると“レーシング”っぽい凄みがあった。
果たしてJGTCのGT300クラスで初陣優勝(だったと記憶する)し、ポテンシャルの高さを示した。JGTCや鈴鹿1000㌔で、国内外のプライベーターが駆る911GT2は、クラス優勝を狙う有力マシンだ。

モデルカーに合わせて赤のJGTC・GTマシン
京商のサークルKサンクス限定「ポルシェ2」の1台。935ターボを狙って7個購入した中で唯一台“ダブリ”があったモデル。赤と黒の2台なのだが、光の加減で赤ボディの方が細部の作りや凹凸が良く分かる。オーバーフェンダーのリベット(?)止めのくぼみまでしっかり再現。一般車タイプのモデルカーなので巨大ウイングは無いが、リアスポイラーだけでも威圧感がある。インダクションも“穴”と分かるように作られている。
今回の「ポルシェ2」のラインナップの中では好きなマシンの1台。

鈴鹿1000㌔の海外からの参戦マシン もう1台のモデルカーに合わせて黒
2006年11月24日
マンガ的バイク elf3

「未来のバイクはこうなる」―マンガ『―鷹』の劇中で東条鷹がそう語っていたのだが…。
タイヤを挟む2本のフォークとスイングアームは昔から変わらぬオートバイの形。その形を変えたのがelfマシンの数々。先出の台詞は初代elf-eを語ったもの。エンジンブロックから伸びた片持ちフォークとアーム。タンクをエンジン下に置いて低重心化した設計は今見ても斬新。
そんなバイクが展示車ではなく実際にサーキットで戦うのだから凄い。マンガに登場するようなバイクが実際に走るのである。写真を見ては「この目で見てみたい」と胸をときめかせた。elf-eは鈴鹿8耐も出走したが、この年は鈴鹿8耐に行けなかった。今でも残念に思う。以降のelf-2からはWGP最高クラスのGP500クラスに参戦。

日本でWGPが開催された当時は開幕戦になる事が多く、elfは新車が間に合わず、ホンダNSRを使用していた。そのため日本GPにelfのマシンが走る事無くelfプロジェクトは終了した。
しかし、唯一、日本でレースを走ったマシンがある。elf-3だ。日本GP開催前年の'86年。バブル景気に沸く日本はGP500と250の主な選手を招いた「スーパースプリント'86」を富士スピードウェイで開催した。出場選手の豪華さとelf-3見たさもあり、観戦に出かけた。WGPと全日本のライダーが競うイベントは面白かった。
チャンピオンバイクは創刊予告の段階からelf-3のモデル写真を掲載していた。「いつ出るのか?」と待ちわびていたが、引っ張るだけ引っ張って「もう企画倒れ?」と思っていた頃に登場した。
ホイールやアームのシルバーがキツイのが気になるが、elf-3のモデル化は初めてではないだろうか? それだけに嬉しい。
2本で片持ちのフォークの構造や、ホンダRVF→市販VFRへと受け継がれるリアのプロアーム。写真と違って構造をマジマジと眺められるのがいい。展示する時は後ろに鏡を置かないとelf-3の魅力は半減してしまうかもしれない。
モータースポーツを幅広く支えているelfのシンプルなスポンサーカラーもカッコイイのだ。
現在(当時からしたら未来)のバイクは東条鷹が語ったような形にはなっていない。安全上の理由かもしれないが、一部の市販バイクに類似構造があるのみ。レースの世界だけでもいい。またこのようなマンガ的バイクが登場して欲しいと願う。

スーパースプリントのelf-3&ロケット・ロン
実車はコンパクトに感じた。スタンドからは反対側を見られない。ヘアピンまで行かないと…
2006年11月23日
ミステリアスなランボ イオタ

現存しない“伝説”だけのマシン、ランボルギーニ・イオタ・プロト。ミウラのレーシングバージョンとして唯一台製作されたがテスト中にクラッシュ―スーパーカーファンの間では有名なエピソード。ただでさえミウラはエキゾチックでカッコイイ車なのに、そのレーシング仕様なのだからカッコ良さは「さらに倍、ドン!」である。一番好きなスーパーカーがイオタSVだった。
京商が出しているサークルKサンクス限定「ランボルギーニ2」にイオタ・プロトがラインナップされていると知って是が非でも引き当てたいと念願していた。コレクション「1」の販売時には存在をしらなかったので、イオタSVを入手することができなかったから、せめて今回のプロトは欲しかったのだ。
イオタが箱から出てきた時は、それはそれは嬉しかった。色はパープル。ノッペリとした色ではなく、パールが入っているようなキラキラとした美しい色合いだ。ミステリアスなマシンに良く似合う。
ミウラともイオタSVとも異なるフォルム。フロントスポイラーが短く、JGTマシンに付けられるカナードくらい。ミラーはボンネット上に。イオタの特徴であるライト部やボンネットとフロントタイヤ後部のダクトはそのままだ。給油口(?)がボンネット左右にそれぞれある。
このマシンを入手したことで、イオタ・プロト、ミウラとともにイオタSVを並べてみたいと欲が出てしまった。

プロトタイプは現存していないので写真はイオタSVレプリカ
当時のスーパーカー・ショーのために多くのイオタ・レプリカが作られたみたいだが、現在そのマシンはどうなってしまっているのだろう?
2006年11月21日
サーキットのランボ ディアブロSV

スポーツカーとして抜群の性能を持ちながらも、レースマシーンとしては良い結果を残せないランボルギーニ。市販車ベースのレースカーでも好成績をあげるフェラーリと比較すると見劣りしてしまう。レースをするために市販車を売り始めたメーカーと、スーパーカーを作るための会社との違いだろうか?
それでもランボルギーニがレースに出てくると観客は嬉しい。人々の心を惹きつける魅力がランボルギーニ車にはある。
会社買収後、名車・カウンタックの後継車として登場したフラッグシップ・カーのランボルギーニ・ディアブロ。先輩ほどのインパクトは無いものの、日本のGTレース等にも参戦して奮闘していた。「―狼」の作者もドライバーを務めていた。
トランスポーターに積まれる際に目撃したのだが、GTマシンとしてのディアブロは、前輪左右の間の底部が窪んでいて、ベンチュリー効果を出そうと改造されている。
京商のサークルKサンクス限定「ランボルギーニ2」の1台、ディアブロSV。真紅のボディサイドに「SV」と大きくデザインされている。ボンネットに点のように付いているエンブレムも「よく見ると“牛”っぽいな」まで細かく描かれている。ディアブロの特徴であるゴチャゴチャしたリアバンパー(エアロ?)付近や、突出したマフラーも緻密に再現している。
見るからに速そうなマシンである。サーキットで活躍できないのが不思議だ。パーフェクトではなく、そういうじゃじゃ馬(牛?)的なところも魅力なのかもしれない。

結局JGTCでは熟成されず、スーパーGTになってからはムルシエラゴにチェンジ
2006年11月20日
ラスト・ロクリン ウィリアムズFW08B6輪

6輪F1はタイレルP34だけではない。マーチが後輪縦置き四駆型のマシン(4/11 本当に走らせたのか?F1マーチ6輪テストカー)を、フェラーリが312T2を後輪横並び型にしてテストしていた。ウィングカー登場直前の'76~77年はタイヤ数を増やして接地力を高める―との考えが強かったようだ。しかし、実践投入されたのはタイレルP34だけだった。マシンやタイヤ開発の費用がかかるだろうが、“車は4輪”という常識を打ち破る6輪車は目にカッコ良く映る。事実、注目を集め、商品人気も高かった。
6輪車開発ブームも去り、ウィングカー時代全盛期になった'82年。いきなり6輪車を発表したのがウィリアムズだ。しかも、それまでの6輪車と決定的に違うのはウィングカーであるという事。ウィリアムズFW08B・6輪は後輪縦並びのマーチ型。
FW08B6輪の写真を雑誌で見た時にはブッ飛んだ。「実践投入されないだろうか」とワクワクした。だが残念ながらこのマシンもテストカーだけで終わってしまった。コンパクトウィングカーで大成功したウィリアムズ・チーム。BIGなスポンサーを得て金持ちチームの道楽だったのだろうか?
その後、今日に至るまでF1レギュレーションで4輪車のみと義務付けられてしまい多車輪マシンの登場は無くなってしまった。ラスト・ロクリンがサーキットで他のマシンと競り合うシーンを見たかった。

詳しく写真を撮りたかったがケースが台座にくっついて開かなかった…
ミニチャンプスのカタログを見てウィリアムズFW08B・6輪が発売予定にラインナップされているのを知った。「なんとマニアックなマシンを…」と思いつつ、発売を待ち望んでいた。そて今月。遂に発売となり即効GET。
写真でしか見た事が無かったので、モデルカーとなって細部をマジマジと眺めることが出来た。リアタイヤの前までは当時の最強マシンFW08のまま。十分ダウンフォスを得ているのでフロントウイングは無い。しかし後部は前輪と同サイズのリアタイヤ4本。後ろまで延長されたアンダーウイング。ダウンフォースと空気抵抗、接地力を欲した当時の技術が伺える。
長い事待っていただけのことはあるカッコイイマシンだ(ドルフィンは変わったF1マシンが大好き)。
できればフェラーリ312T2・6輪もモデル化して欲しいものだ。

パッケージも凝っている
ウィリアムズのロゴとFW07(?)のラインイラストが描かれていてカッコイイ
2006年11月14日
不死鳥が宿るマシン フェラ-リ312T2

憧れのF1ドライバーの名を挙げるなら、J・ハント、M・アンドレッティ、そしてニキ・ラウダだ。
初めて観たレースが'76F1in JAPAN。「大きなレースならスーパーカーに乗る人が多く来るに違いない」―という邪(よこしま)な考えで出かけた。入場料が子供なら何人でも1組1,000円という今では考えられない価格だったのも一因。子供5人だけで出かけたので“F1が200円で観戦”できたのだ。
日本に初めてやってきたF1はチャンピオンが決定する最終戦。タイトル争いをしているJ・ハントとN・ラウダの名前しか知らなかった。特にラウダは西ドイツGPで大火傷をするクラッシュから奇跡的にカムバックしてきたエピソードが紹介されていたので、“超人”的なイメージを持っていた。
それとともにラウダの駆るフェラーリ312T2は最速マシンであり戦闘美を備えたF1マシンの象徴だった。―いや、現在でもその思いは変わらない。
サークルKサンクス限定、京商の「フェラーリF1」シリーズは、まだミニカーを本腰入れて集めていない時の発売だったので、後から知って悔しい思いをした。オークション等で出品されているものはかなり高騰して手が出ない。
ところがある日、ミニカー屋のレンタルBOXに500円で出されているのを発見し狂喜乱舞した。元値が399円。レンタルBOX代も取られるので、出品者の利益は薄い。そんな良心的価格で買い手を求めているなんて…。即決で入手した。
本来は購入者が組み立てるようになっているが、完成形で台座に乗って売られていた。手先が不器用なドルフィンにとっては願ったりの状態だ。
本物同様、前後のウイングはシルバーになっている。コックピット横には「N LAUDA」のネームが大きく描かれている。サイドポンツーンのスポンサーロゴもしっかり読み取れるほど細かい仕上げ。ただ、はじめから台座に取り付けられている他のシリーズとは違い、後乗せタイプなので、台座から外れやすいのが玉に瑕(きず)。
日本には1回しか来ることはなかったが、ラウダの王者としての風格はM・シューマッハよりも遥かに上だと感じている。

雨の富士スピードウェイ・F1inJAPANを走るN・ラウダのフェラーリ312T2
―って、これじゃあ分からないでしょ!
なんせ「流し撮り」なんて知らなかった頃なもので…
2006年11月13日
私をラリーに連れてって セリカGT-FOUR

私の記憶が確かならば―トヨタ・セリカGT-FOURはWRCで活躍する以前から多くの人々の心に刻み込まれていた。一世を風靡したヒット映画『―連れてって』劇中で、雪山を突っ走るマシンの姿は四駆性能の高さを印象付けるものだった(映画撮影だとしても―)。主演のトモトモが魅力的に描かれていたのはもちろんの事だが、スキーと恋愛をファッショナブルに見せていたこの作品は今見ても面白い。この映画の影響でGT-FOURのオーナーになった方も多いのではないだろうか?

『―に一番近い島』の頃のトモトモ

その時頂いたトモトモのサイン
CM’Sのラリーカーシリーズ「トヨタ」編のGT-FOUR Gr.Aは、映画に登場する初期モデルをマイナーチェンジしたもの。'93年に日本車として初めてWRCでメーカータイトルを獲得した記念すべき名車だ。
本来、ブラインドBOX販売なのだが、ミニカー屋で開封売りをしていたので、'93モデルと'95モデルの2台を購入した。初期モデルの赤白の大雑把なカラーリングは好きになれない ので、こちらは見送った次第。
'95モデルはリトラクタブル・ライトを上げた状態に仕上げられている。車内のロールゲージはもちろん、リア部にはスペアタイヤまで搭載している芸の細かさ。さすがは従来のラリーカーシリーズよりも値が張るだけの事はある。後々イメージカラーになるカストロールの湾曲したラインも綺麗だ。
生産中止になってしまったセリカ。この頃が一番輝いていたかもしれない。セリカを語るのにラリーカーとともに『―に連れてって』は外せない。

2006年11月11日
野望のランボ LM02

ブラインドBOXの醍醐味は開封時にある。中身を知った時の喜びと悲しみ―まるでパンドラの箱である。
ランボルギーニ・ファンのドルフィンにとって、サークルKサンクス限定・京商「ランボルギーニ2」は「何が出てもOK!」という好商品だった。“大人買い”こそ予算の事情でできないが、10個まとめて購入した。運が良ければ10車種全てがそろうからだ。
「ダブリが無いように」と願いつつ箱を開けるエクスタシー。5箱目、6箱目―全て違う車種が出てきた。7箱目、8箱目―続々と別車種が姿を見せる。「このまま“夢の全車重複無し”が完遂か!?」と期待が膨らむ。緊迫の9箱目―ついえた野望。同一別色車が出てしまった…。パーフェクト成らず。
激しい動揺から立ち直り、最後の1箱に期待をかけて手をかける。目に飛び込んでくるショッキングな現実。ラスト2個が連続してダブリになろうとは…。
8/10の割り合いで別車種ランボをGET。しかも半数がイタリアンレッド。ランボにはイタリアンレッドが良く似合う。

ランボルギーニ LM02もイタリアンレッドの1台。かなり昔に発表された軍用車チータの市販版が今回のモデルにラインナップされていた。ストレートのラインで構成されたゴッツイボディは同スケールの他車に比べて材料費が幾分掛かっているのではないだろうか? タイヤのパターンや荷台(?)のアルミ板の模様まで再現されているところが細かい。
このシリーズ「ランボ3」はあるのだろうか?

日本の四駆に比べかなり巨大なLM02
2006年11月07日
地味なランボ エスパーダ

「俺はランボルギーニ・エスパーダが一番好きだ」と言う者に会ったことが無い(「アストンマーチン・ラゴンダが一番好き」と言う友人はいたが)。自身、エスパーダは1回しか見たことが無い。カウンタックLP500Sのような希少車でさえも公道やスーパーカー・ショーで何度か目にしているのに―だ。初期ランボルギーニの4シーター車。しかも子供に人気のリトラクタブル・ライトでもない。言わば華の無いスーパーカーなのかもしれない。
サークルKサンクス限定の京商「ランボルギーニシリーズ2」にエスパーダはラインナップされている。ブラインドBOXだがエスパーダが出ても「しまった! スカ引いた!!」とは別段思わない。それはランボルギーニの車であり、ドルフィンがランボルギーニのファンであるからだ。
イタリアンレッドのカラーは一層スーパーカーらしさを与えている。ボンネットに窪んだNACAダクトや、ゆるやかなウエーブを描くボディラインに美しさを感じる。ライト部にクリアパーツを使っているのも京商の良いところだ。
スーパーカー・ブームが過ぎて何十年。日本の狭き道を走るエスパーダは存在するのだろうか?

エスパーダを見た唯一のスーパーカー・ショー
土面の空き地を使ったショーは当時結構あった
2006年11月02日
驚喜のロータス79

店頭に置かれたそのモデルを発見した時には心臓が爆発しそうになった。ロータス79。'78年F1チャンピオンマシン。新品はおろか中古品でも市場に出回るのは稀な人気モデルが、これまた貴重なタイレルP34とともにミニカー屋のレンタルケースに入っていたのだ。しかもリーズナブルな価格で。人気車2台を手放さなくなったオーナーの心情を察するを得ない。
ミニカーを本格的に集め始めた時、是非とも手元に置きたいモデルの1台がロータス79だった。雑誌やTVでしか見た事は無いが、初のウイングカー・ロータス78を進化させ、F1'78年シーズンをM・アンドレッティとR・ピーターソンで席巻した。「ウイングカー」「エアロダイナミックス」という言葉はこのマシンの活躍によって覚えた。洗練されたデザインは、もうカッコイイとしか表現のしようが無い!-ほど。
入手モデルはミニチャンプス製ではない。後にネットオークションで外国のRBA製と知るのだが、ロータス79が我が家に来るのだ、ブランド性などどうでも良い。
これはドライバー&メーカーのWタイトルを獲った'78年仕様ではない。「最高のウイングカー」と満を持して発表したロータス80が失敗に終わったため(これはこれで好きなマシンなのだが)、前年のマシンを持ち出して戦わなくてはならなくなった'79年仕様のブリテッィッシュ・グリーンにマルティーニのカラーになっている。ゼッケン「2」は"アルゼンチンの鷹"C・ロイテマン。
マルティーニやエセックス石油のプリント部にオフセット印刷の"網"が出てしまっている辺りにミニチャンプスに比べて荒さがあり、元値も安かったと推測される。だが、ボディの作りは精巧で、サイドポンツーン底部のウイング曲面も作り込まれている。
ロータス79を入手してから半月間は仕事中に思い出してはニヤニヤ・ドキドキしていた(おいおい!それはイカンだろ!!)。
